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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

927避難民のマジレスさん:2023/02/09(木) 05:15:38 ID:QZqJRwFs0
前節まで段落分けの基準としてきた、
荘子内篇の素読(漢字家族) が中断したので、
当節以降の段落分け等は、原則
老子•荘子•列子(漢文叢書:第6)国立国会図書
館デジタルコレクション 
に従う。

荘子40.
人間世第四(7)
曰然則我内直而外曲。成而上比。内直者興天
爲徒。興天爲徒者知天子之興己皆天之所子。
而獨以己言蘄乎而人善之。蘄乎而人不善之
邪。若然者人謂之童子。是之謂興天爲徒。外
曲者 興人之爲徒也。擎跪曲拳人臣之禮也。人
皆爲之。吾敢不為邪爲。爲人之所爲者。人亦
無疵焉。是之謂興人爲徒。成而上比者 興古爲
徒。其言雖教讁之實也。古之有也非吾有也。
若然者雖直不爲病。是之謂興古爲徒。若是則
可乎。仲尼曰惡惡可。大多政法而不諜。雖固
亦無罪。雖然。是止耳矣。夫胡可以及化。猶
師心者也。

曰く然らば則ち我内直(なほ)くして外曲(まが
り)。成して上比せん。内直き者は天と徒爲
(た)り。天と徒爲る者は天子の己と皆天の子
とする所なるを知る。而るに獨り己の言を以
て而(か)の之を善くするを蘄(もと)めん、而
の人の之を善くせざるを蘄(もと)めんや。然
るが若(ごと)き者人之を童子と謂ふ。是れを
之れ天と徒為りと謂ふ。外曲がる者は人と之
れ徒為る也。擎跪曲拳(けいききょくけん)は
人臣の禮也。人皆之を為せり。吾敢て為さざ
らんや。人の為する所を為す者は。人も亦疵
(そし)る無し。是れを之れ人と徒為りと謂 
ふ。成して上比する者は古と徒為り。其の言
(ことば)は教ふと雖も讁(たく)の實也。古の
有也 吾が有に非ざる也。然るが若き者は直し
と雖も病(へい)(た)為らず。是れを之れ古と
徒為ると謂ふ。是の若くば則ち可ならんか
と。仲尼の曰く。惡(あゝ)惡(いづく)んぞ可
ならん。大(はなは)だ政法多くして諜(やす)
からず。固(いや)しと雖も亦罪(つみ)無し。
然りと雖も是に止まるのみ。夫れ胡(なんぞ)
以て化を及ぼすべき。猶ほ心を師とする者
也。

注:
直:真っ直ぐにして、純一不雑
曲;曲げて世間並みに從ひて、
成而上比;(衛君を)化して、古の賢士にあや
 かろうと思います。
徒:なかま
顔回の考え;内直者=天の徒→天子も己も皆
天の子→天子が己の言を悦ぼうと否とかまわ
ない→この様な者を童子とよぶのは、嬰児の
如く純潔にして私心なく、天理至当の議を説
くからであり、これが天の徒。
外を曲げる→世間一般人に従い、人臣として
君に対する礼儀を尽くす→世間から誹られる
こともない。これが人の徒。
君子を諌めて自分の言を説くのではなく、古
人の言を説く。これが古の徒。
この天の徒、人の徒、古の徒の三術をそなへ
て行けばよいと思います。
孔子の助言;其の三術だけで暴君に言を進め
るに尚事多くして安らかでない。行うに大き
過ぎることも、罪を得る事もないが、ただそ
れだけで教化しても功はない。何故なら、そ
は自然の大道に順はずして、己が心を師と
し、未だ我執を免れないからである。
(´・(ェ)・`)つ


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