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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

881避難民のマジレスさん:2023/01/22(日) 23:58:03 ID:2686lnqM0
荘子23.
荘子:斉物論第二(22)
六 合 之 外 聖 人 存 而 不 論 。六 合 之 內 聖
人 論 而 不 議 。 春 秋 經 世 先 王 之 志 。 聖
人 議 而 不 辯 。 故 分 也 者 有 不 分 也 。 辯
也 者 有 不 辯 也 。 曰 何 也 。 聖 人 懷 之 。
眾 人 辯 之 以 相 示 也 。 故 曰 辯 也 者 有 不
見 也。 

六合(リクゴウ・せかい)の外は聖人存して
論ぜず、六合の内は聖人論じて議せず。春秋
は世を経(けい)するは先王の志(シ)なり。
聖人議して弁ぜず。故に分かつとは分かたざ
る有ればなり。弁ずるとは、弁ぜざる有れば
なり。曰わく何ぞや。聖人は之を懐 にす。衆
人は之を弁じて以て相示すなり。故に曰はく
弁ずる者は見えざる有るなりと。

注:
六合(リクゴウ)之外:天地四方(天地東西南
 北)。すなわち宇宙の外(にある超越的なも
 の、測り知るべからざるもの)
論 而 不 議 : 普遍的なことは論じるが細かな
 問題は 詮索しない。
春 秋 經 世 先 王 之 志 春 :『春秋』の書物は
 世を治めた古代の王の記録である
聖 人 議 而 不 辯:聖人は事実について議論す
 るが、事実の判断(主観的意味づけ)はし
 ないのである。
故 分 也 者 有 不 分 也 。 辯 也 者 有 不 辯
 也 : だから、分別するとは分別しないこと
 なのである。価値を判断する(明らかにす 
 る)とは判断しないことなのである。
曰 何 也 。 聖 人 懷 之 : 聖人は分別(差異と
 対立)をそのまま懐(いだ)き、
眾 人 辯 之 以 相 示 也 : 衆人はこれを区別・ 
 判断してそのさ差異を示すのである。
故 曰 辯 也 者 有 不 見 也: だから、「価値を
 明らかにするとは、差異・対立を他者に
 示さないことである」と言われているのだ。

荘子:斉物論第二(23)
夫 大 道 不 稱 。 大 辯 不 言 。 大 仁 不 仁 。
大 廉 不 嗛 。 大 勇 不 忮 。 道 昭 而 不 道 。
言 辯 而 不 及 。 仁 常 而 不 成 。 廉 清 而 不
信 。 勇 忮 而 不 成 。 五 者 园(圓) 而 幾 向
方 矣。

夫(そ)れ 大道は称へず。大弁は言はず。大
仁は仁ならず。大廉(タイレン)は嗛(ケン
=謙)ならず。大勇は忮(そこな)はず。道
は昭(あきら)かなれば而(すなわ)ち道な
らず。言は弁なれば而ち及ばず。仁 常なれば
而ち成 らず。廉(レン)は清なれば而ち信
(まこと)ならず。勇は忮(そこなう)なれば
而ち成らず。五者は园(まどか•えん)にして
方(ホウ・かどある)に向かうに幾(ちか)
し。

注:
大道:真の実在
不 稱 :(となへず、たたへず、称あらず、称せ
 ず、ことあげ(言挙げ)せず)、名づけるべき
 ことばがな
廉:欲少なきをいふ
嗛:物足らぬように見ゆるなり
忮 :害(そこな)ふ、さからふなり
园:円き貌なり
五者圓而幾向方矣:大道、大辯、大仁、大廉、大勇の
 五者は、あたかも円周があらゆる角を自ずからの
 内に包むがごとく、本来融通無碍であるが、それ は また、円周が直線によって截(き)られると、 そこに三角形や四角形が成立するように、大道は 概念によって害(そこな)われ、大弁は言論によ
 って害われ、大 仁は固執によって害われ、大廉は 狷介(ケンカイ)によって害われ、大勇は暴力に
 よって害われるという限定化・不自由化の傾向性
 を内有しているのである。
(´・(ェ)・`)つ


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