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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
795
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/12/20(火) 23:22:56 ID:xvjJNvjE0
答えたのじゃ。
シャンカラは存在しないという認識)は、燃えてしまった薪の火のように、自ら消え去ってゆくと言ったのじゃ。
殺害や飲酒が悪の原因であることを理解しない間は、それらをしようとするが、理解すれば消えるのじゃ。
存在しないという認識が無関心な状態を確立する原因であるというのは非本来的な滅びる原因から護るという形で、確立する原因となるというのじゃ。
積極的な活動を停止することという無関心な状態こそが、その否定の意味なのである、とわれわれは考えていると言うのじゃ。
悪の原因であるとは知らなくても、無関心な状態は存在するので、それは積極的な行為を停止することという偶然的な特性によって特徴づけられているのじゃ。
反対なのじゃ。
ではウパニシャッドの諸聖典句は行為を目的とする、とを明らかにしていたジャイミニの見解は、全くの誤りなのかと聞いたのじゃ。
答えたのじゃ。
シャンカラは行為、祭式を目的としない諸聖典句は無意味である」という『ミーマーンサー・スートラ』の言明は祭事部にのみ適用されると言ったのじゃ。
この章では昔から言われていた、行為、祭式を目的としない諸聖典句は無意味である」という言葉が祭事部にのみ適用されるものであり、ブラフマンを説いた聖典句には適用されないと明かしたのじゃ。
ブラフマンは唯一存在するものであり、全てであるから何かをすること、として説かれてはいないのじゃ。
それでは前述の反対の見解と矛盾するから、それを論破したのじゃ。
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