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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

788避難民のマジレスさん:2022/12/17(土) 03:51:34 ID:SfjsdjQI0
(つづき)   p437-438
  [反対主張]どういう理由でできないのか。
  [答論]だから[師シャンカラが]、否定詞nañは、[貪欲から]自然に生ずる殺すことと結び付いているのでと答えているのである。その趣旨は以下の通りである。命令の意味を表す接尾辞は、殺害や飲酒を表す語とともに認識されたときには、それら (殺害や飲酒)を命じている。これが一般規則である。だが、それら(殺害や飲酒)を命ずることは不可能である。何故なら、[それらは]貪欲から生じたものだからである。 また、否定詞nañが非定立否定を命じているということもない。何故なら、無関心な 状態を本質とするそれ(非定立否定)は、[存在が生ずる以前の非存在(prāgabhāva) という形で]756すでに存在しているので、すでに成立しているからである。また、[否定詞nañが命じているのは]やめようという努力でもない。何故なら、それ(やめようという努力)は、直接表示されていないので、間接に表示されていることになるが、 [直接表示の]可能性がある場合には、間接表示は正しくないからである。さらに、命 令の意味を表す人称語尾が、貪欲から生じた活動に再言及しているので、[やめようという努力が]儀軌(命令)の対象となるのは不適当だからである。従って、[命令の意味を表す人称語尾が]、「飲むべきである」とか「殺すべきである」という[儀軌]に再び言及したのち、[否定詞nañが]「それは[するべきでは]ない」と禁止しているのである。すなわち、[否定詞nañは]、それ(殺害や飲酒)が存在しないことを認識させはするが、否定詞nañの表す対象を命じているわけではないのである。そして非存在は、自己と対立する存在によって限定されているので、存在の影を宿している。そ のため、[存在が]すでに存在する場合には、[非存在も]すでに存在するかのように見え、また、[存在が]これから実現しなければならないものであれば、[非存在も]これから実現しなければならないものであるかのように見えるのである。従って、否定詞 nañの表す対象(非存在)は、これから実現しなければならない存在との関係で、これから実現しなければならないもののように見えるのである。それ故、否定詞nañの 表す対象が行わなければならないことであるというのは、錯誤なのである。まさにこのことを、[師シャンカラは次のように]述べているのである。この否定詞nañの本来の性質は云々と。
  [反対主張]否定詞nañは、それと関係づけられているもの(たとえば殺害や飲酒) が存在しないことを認識させるのだ、としておこう。だが、活動しようとしている心や言語器官や身体が、どうして、原因もないのにその活動を停止したりしようか。

脚注
756
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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