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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
786
:
避難民のマジレスさん
:2022/12/16(金) 07:25:00 ID:qwUhXL3Y0
6.2.2.禁令は行為を命じない p435-437 219右/229
とすれば、「殺すべきではない」とか「飲むべきではない」という[儀軌の]場合にも、 もし行わなければならないことが存在すると認められれば、それ(行わなければならな いこと)の存在する領域を包み込んでいる(vyāpaka)意欲も存在すると認められることになろう。そして、それ(意欲)の存在する領域を包み込んでいる生ずるもの(活動)が、[これらの儀軌の]対象であることになろう。また同じように、プラジャーパティの誓いという原則に従えば、これらの儀軌は、定立否定(Paryudāsa)753の働きにより、殺さないあるいは飲まないという決意を間接的に表示する(laksanā)するので、それ (決意)を対象としていることになろう。とすれば、非定立否定(prasajyapratiseda) 754が放棄されるという理論的欠陥に陥ることになる。すなわち、[非定立否定による直接表示の]可能性がある場合には、[定立否定による]間接表示は正しくないのである。 ただし、「昇りつつある太陽を見るべきではない」等の場合には、[その儀軌が]「彼の誓いは」で始まっているので、非定立否定は不可能であり、そのため、定立否定の働きにより、見ないと決意することを間接的に表示する、というのは正しいのである。従って、「殺すべきではない」とか「飲むべきではない」等の非定立否定の場合には、生ず るもの(活動)が存在しないから、それ(生ずるもの)の存在する領域のなかに包み込まれている(vyāpta)意欲も存在しない。そして、それ(意欲)が存在しないときに は、それ(意欲)の存在する領域のなかに包み込まれている行わなければならないことも存在しない。それ故、あらゆる文章が行わなければならないことを表現しているというような決まりはないのである。だから[師シャンカラは、次のように]言っている。「バラモンは殺すべきではない」等の云々と。
[反対主張]活動の停止それ自体あるいはそれ(活動の停止)の手段は、何故、行わなければならないことではないのか。
[答論]だから[師シャンカラが、次のように]答えているのである。そしてそれ (活動の停止)は行為ではない云々と。[ここで]「行為」という言葉は、「行わなければならないこと」を表しているのである。[そして]同じこのこと(活動の停止は行為で はないということ)を、[師シャンカラが次のように]詳しく説明している。[もし]、 行為(祭式)を目的としない云々と。
[反対主張]命令の意味を表す人称語尾を耳にすると、そこですぐに、行わなければならないことが認識される。そしてそれ(行わなければならないこと)は、生ずるもの (活動)が存在しなければ存在しないのである。また、食欲のせいで殺害や飲酒に手を染めた人の場合には、やめようという努力もしないで偶然に、[殺害や飲酒に対して]無関心な状態が生まれてくるなとということはない。従って、活動しようとしている心や言語器官や身体が[その活動を]やめようと努力すること、それこそが禁止を命ずる儀軌の対象となっている行為なのである。それ故、行為を表さない文章はなんら存 在しないのである。
[答論]だから[師シャンカラは、このような反対主張に対して次のように]答えて いるのである。否定詞nañは、「殺す」という行為の停止という、[行為に対して]無関心な状態は言うに及ばず、[貪欲から自然には]生じない行為(すなわちやめようという努力)[を命ずる]ためのものだとも考えることはできないのである755と。
脚注
753 脚注733参照。
754 脚注733参照。
755この箇所は、『註解』本文の訳文とは異なるが、以下の『バーマティー』の説明へと繋げていく都合上、『バーマティー』にあわせて訳しておいた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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