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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
778
:
避難民のマジレスさん
:2022/12/13(火) 00:32:17 ID:J2AF3r0.0
6.2.1.儀軌は行為を命ずる p431-432 217右/229
あらゆる語は行わなければならないことを表示すると認めている人たちでさえ、「バ ラモンは殺すべきではない」とか「酒を飲むべきではない」等[の文章]が、行わなければならないことを表現していると認めることはできない。何故なら、行わなければならないことは、その領域が意欲(krti)によって限定されている[ので]、意欲の存在 する領域のなかに含まれている(vyāpta)からである737。[従って]、その(意欲)が なくなれば、[行わなければならないことも]なくなるのである。それはちょうど、木という性質がなくなれば、シンシャパー738という性質も[なくなる]ようなものである。ところで、意欲とは人の努力のことである。そしてそれ(意欲)は、対象に基づいて決定される。そしてその(意欲の)対象は、これから実現しなければならないものという本性を備えているので、生ずるもの(bhāvārtha,活動)一[それは]前後関係のある[多くの行為からなり]、他のものを生み出すのに適してしいる一でしかありえないはずであり739、実体や性質では[ありえ]ない。何故なら、意欲の対象は、意欲の存在する領域のなかに直接的に含まれているからである。そして、実体や性質というすでに実現されているものが、意欲の存在する領域のなかに含まれることはない。だからこそ、聖典(『ミーマーンサー・スートラ』)の作者の[次のような]言葉があるのである。「行為を表す言葉(動詞)は生ずるもの(活動)を表しており、[新得力が] 生ずることはそれ(生ずるものを表す動詞)から認識されるのである」740と。
[反対主張]実体や性質を表す言葉も、なにか原因がある場合には(naimittikavāsthā)、 行わなければならないことと関係するではないか741。
脚注
737 要するに、行わなければならないのだという意欲が存在していてはじめて行わなければならないことが遂行されるのだということ。なおvyāptaに関しては、脚注14参照。
738アショーカ樹のこと。
739たとえば、御飯を炊くという料理を例に取れば、それは、まず鍋を火にかけて温めるという行為から始まって、最後に御飯が炊きあがるという行為までの前後関係のある多くの行為からなっており、またそれは、料理という行為以外のものすなわち炊きあがった御飯を生みだすのに適しているのである。この点で壼等の実体とは異なっているのである。
740
741「語によって思い起こさせられたものと結び付かないものが原因であるときに、生ずるもの(活動) と結び付いている状態が、なにか原因がある場合であり、その場合には、すでに実現されているものである実体や性質も、行為と結び付くことによってこれから実現しなけれぱならないものとなる。従って、実体・性質・生ずるもの(活動)を表す言葉はともに、これから実現しなけれぱならないものを表し、かつこれから実現しなけれぱならないものを対象としているので、[それらの語の]用法はともに[語を]用 いた対象を実現するところにあるのである」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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