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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
772
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/12/10(土) 23:28:05 ID:9N5aHE1w0
反対なのじゃ。
「聖典は行為(祭式)のためのものであるから云々」という、 聖典(『ミーマーンサー・スートラ』)の作者の言葉があるというのじゃ。
ここでもし、「ためのもの」という語を言葉の対象を示すという意味に取れば、 その場合には、実体、性質、運動というすでに存在するものは、言葉の対象ではないという意味で無意味であることになるというのじゃ。
何故なら、それらは行為を言い表してはいないからなのじゃ。
答えたのじゃ。
シャンカラはすでに否定しているというのじゃ。
反対なのじゃ。
行為(祭式)のためのものというのは、行為(祭式)を言い表しているという意味ではなくて、行為(祭式)を目的とするという意味なのじゃ。
そして、実体や性質を表す言葉が、すでに存在する実体や性質について述べているのは、それらが行為(祭式)に役立つからなのであって、自身を表すためではないのじゃ。
たとえば、聖典を知る者(シァヴァラスヴアーミン)は、 「実に教令は、すでに存在するもの、現に存在しているもの、」と述べているのじゃ。
教令は、行わなけれはならないことを理解させると同時に、それに役立つすでに存在しているものをも理解させるのじゃ。
答えたのじゃ。
まず、「語は]、その固有の意味のなかでも、行わなけれはならないことに 役立つものだけに関係するのであって、それ以外の意味とは関係しない」と知られていないのじゃ。
さらに語は、[他の語の意味と無関係に]語固有の意味だけを表しているのではないのじゃ。
もしそうなら文章の意味は認識されないことになるじゃろう。
何故なら、語の意味がそれぞれ独立した形で主要なものであれば、主要な意味とそれに従属する意味という関係が存在しないことになり、一つの文章を構成することは経験されなくなるからなのじゃ。
従って、 諸語が固有の意味を表示しながらも一つの文章を構成するのは、同一の目的をもった語の意味をも表示するからなのじゃ。
このようにして、一 つの文章の意味についての認識が成り立つのじゃ。
たとえば、聖典の意味を知る者(クマーリラバッタ)が、
「文字は直接に語の意味を明らかにするが、そんな無意味なことだけで終わるわけではない
語の意味を明らか にすることは、それら(文字)が文章の意味を生み出すために機能する際に必要不可欠なのである。
それはちょうど、料理の際に薪の炎のようなものである」と述べているのじゃ。
従って、語が固有の意味]外の意味との関係を表示するだけで、文章の意味についての認識が成立するとすれば、語が行わなけれはならないことの関係を表示するという決まりは存在しないことになるのじゃ。
とすれば、語が変異することなく 永遠なブラフマンの性質を表示するのも理論的欠陥とはならないのじゃ。
これから実現しなけれはならないものとは、これから行わなけれはならないことのことなのじゃ。
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