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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

769避難民のマジレスさん:2022/12/09(金) 07:49:47 ID:WCE8/RIU0
『プルシャ』シャンカラの言及 4/4
>>763
  また、儀軌に従属させることもできない。何故か。何故なら、[それは、万物の]アートマンであるので云々だからである。すなわち、アートマンは、それ以外のもののた
めに存在するのではない。それ以外のものすべてが、アートマンのために存在するのである。たとえばこのような趣旨で、[次のような]天啓聖典句がある。「実に一切に対して愛情があるために、一切が好ましいのではない。そうではなくて、自身(アートマン)を愛するが故に一切のものが好ましいのである」716と。さらに、万物のアートマンであるという同じ理由で、[プルシャ=アートマンは]受け入れることも捨て去ることもできないのである。すなわち、あらゆる現象すべてにとって、ブラフマンこそが真のアートマン(本性)なのである。そして本性は、捨て去ることができないので捨て去ることのできるようなものではなく、また、すでに獲得されているので受け入れることのできるようなものでもない。従って、捨て去ったり受け入れたりできるものを対象としている儀軌と禁令が、それとは反するアートマンという真理を対象とすることはないのである。それ故、あらゆる現象すぺてにとって、アートマンこそが真理なのである。このことを説明して、[師シャンカラが次のように]言っている。実に、プルシャを除くすべてのものは、変化してできたものでありって、可滅であり、現に滅してゆくと。その意味は以下の通りである。実にプルシャは、天啓聖典、聖伝書、叙事詩、プラーナおよびそれらと矛盾しない論理によって確立されているので、究極的な 実在である。だが現象世界は、無始の無明が生み出したものなので、究極的な実在ではない。そして、究極的な実在が[究極的な実在ではないもの、すなわち現象世界の] 資料因なのである。それはちょうど、縄という真理が[それから]変化してできた蛇という虚妄の[質料因]であるようなものである。従って、これ(現象世界)は、[実在 であるとも非実在であるとも]決定できないせいで、その本性が不安定な[ため]滅してゆくが、プルシャのほうは究極的な実在なのである(すなわち滅することはない)。これ(プルシャ)は、千の原因によっても、非実在とすることはできないのである。そ れはちょうど、職人が千人集まっても、壷を布にすることはできないのと同じである。このことについてはすでに述べた通りである717。従って、ちょうど銀や蛇が、真珠母貝や縄だけを残して滅してゆくように、変化してできたものは[すべて]、滅することのないプルシャだけを残して滅してゆくのである。実にプルシャだけが、現象世界という変化してできたもの総体の真理なのである。そして、プルシャは無終なので、減 することがないのである。
  [反対主張] [プルシャにも]減することはあるであろう。
  [答論][このような反対主張に対して、師シャンカラが次のように]答えている。 プルシャは、滅する原因が存在しないので云々と。すなわち、原因が千集まっても、あるもの(実在)を別なもの(非実在)にすることはできないのである。このことについてはすでに述べたところである718。
   [反対主張][確かに]プルシャは、本質的に、捨て去ったり受け入れたりできるようなものではないであろう。だが、それ(プルシャ)のある属性が捨て去られ、ある属性が受け入れられるということはあるであろう。
   [答論][このような反対主張に対して、師シャンカラは次のように]答えている。また、変化する原因が存在しないので、変異することなく永遠な存在であると。三種 の変化、すなわち性質の変容・時相の変容・状態の変容が、ともに存在しないということについては、すでに述べた通りである719。さらに、究極的な実在であるアートマンの属性も究極的な実在なので、それは、アートマンの場合と同じように、諸原因によって別なもの(非実在)に変えることはできない。そして、属性を別なものに変えること以外に、変化というものは存在しないのである。まさにこのことを、[師シャンカラが]、変化する原因が存在しないのでと述べているのである。[なお『註解』本文の]その他の箇所については容易に理解される。
(´・(ェ)・`)b


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