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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
718
:
避難民のマジレスさん
:2022/11/19(土) 06:15:54 ID:gVdKmW6k0
(つづき) p398-400 201左/229
[答論]だから[師シャンカラは、以上の反対主張に対して次のように]答えている のである。さらに、ブラフマンとアートマンとは同一であるというこの認識は云々と。 何故か。というのは、ブラフマンとアートマンとが同一であるという認識が想像上の同一視等の性質のものだ[と認めると]云々だからである。
確かに、ダルシャプールナマーサ祭の章に述べられているギーを見つめることが、そ れ(ダルシャプールナマーサ祭)に従属するギーを浄化するというのは正しい。だが、 「アートマンは実に見られるべきである」等は、どんな[祭式に関する]章にも述べら れていない。また[確かに]、「バルナ材でできたジュフー祭杓を用いる者は[自己に ついての悪評を聞くことがない]」645という[聖典句]は、特定の章で述べられてはいなくても(anārbhyādhīta)646、ジュフー祭杓が祭式と一定の関係にあるので、「ジュフー祭杓」という語は文内文脈(vākya)によって祭式を思い起こさせるから、バルナ材製であるということは祭式に従属することになる647。だが、アートマンの場合に はそれとは異なる。すなわち、もし[アートマンが祭式と一定の関係に]あれば、それ(アートマン)を見ることは、祭式に従属することになり、また祭式のためにアー トマンを浄化することにもなるだろうが、アートマンは祭式と一定の関係にはないのである。従って、これ(「アートマンは実に見られるべきである」)は、儀軌ではあっ ても、「金を身につけるべきである」という場合と同じように、関係儀軌が適用されず (viniyogabhańga)、また未知の果報を対象としている(生み出す)ので、主要祭なのである。従属祭ではないのである648。
以上の批判は、広範囲に渡るものなので、[『註解』本文には]述べられておらず、[そこではただ]すべての立場に共通する批判が述べているだけであるが、その意味は明白 なので説明の必要はない。
脚注
645
646 儀軌には、特定の祭式にのみ関係する特定儀軌と特定の祭式のみにかかわらない一般的な儀軌である不特定儀軌があり、後者は基本祭すぺてにたいして適用される。ここで述べられている「バルナ材云々」という儀軌は不特定儀軌であり、特定の祭式について述べている章のなかにでてくるものではないのである。
647文内文脈とは、「近接した発声のことであり、近接した発声とは[行為によって]実現されることを示す第二格等(の格語尾)が[そこに]存在しなくても、実際上主従の関係にあるものを述べている二つの単語 が同時に発音することである」とされる。たとえば、この「バルナ材でできたジュフー祭杓」という場合には、(バルナ材でできた)という語も(祭杓)という語 もともに主格であるために、第二格は行為によって実現されるもの、すなわち行為に対して主となっているものをあらわし、他の諸格はそれぞれ行為に対して従となっているものをあらわすと解釈して、従属関係を決定する方法を用いることができない。しかしながら、ここでは、これらの語は近接して発音されており、また実際上主従の関係にあるものが、これらの語によって述べられている。従って、バルナ材製であることがジュフー祭杓に対して従属関係にあることが知られるのである。
648 「金を身につけるべきである」という儀軌は、特定の祭式と無関係に聖典に述べられている文章である。まず、反対主張によれば、この儀軌は次のような理由で、アグニホートラ祭の祭式に従属する祭式だとされている。(1)主要祭であるために必要な供物や神格が述べられていない。(2)この儀軌は、アードヴァリヤ(アドヴァリュウ祭官に所属する)•ヴェーダに述べられているので、この行為はおそらくアドヴァリュウ祭官が行うものと思われる。すなわちその行為は、主要な祭式のためのものなのである。また、金を身につけるのは、祭式のために行われるものである。以上の反対主張に対して答論者は、次のような理由で、この金を身につけるという祭式は主要祭であるとしている。すなわち、(1)この祭式から生ずる独立した果報(未知の果報)、すなわち敵の顔が青ざめるという果報が述べられている。 (2)この儀軌が他の祭式に従属することを示すような関係儀軌(脚注505参照)が存在しない。このように「金を身につけるべきである」 という儀軌の命ずる祭式は、主要祭であって従属祭ではないのである。同じように、「アートマンは見られるべきである」という場合にも、これを儀軌だと考えると、(1)独立した果報(未知の果報、たとえ ばアートマンを知ること)を生じ、(2)この行為が他の行為(祭式)に従属することを示す関係儀軌が存在しないので、この行為(祭式)は主要祭であって従属祭ではないのである。
(´・(ェ)・`)つ
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