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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
713
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/11/17(木) 00:43:48 ID:NIaONxU60
反対なのじゃ。
ブラフマンと個人存在が同一であるという認識は、すでに存在する事物を対象としているのではないというのじゃ。
その認識は想像上で同一視しているだけというのじゃ。
ブラフマンと個人存在が同一であるという認識は、儀軌以前には成立しておらず、人間の欲求によって成立するから儀軌の対象となると主張しているのじゃ。
心は無限に変化するという点で、神々であるヴィシュヴァデーヴァたちと類似しているので、ヴィシュウァデーヴァたちを心のなかに思い浮かべるのじゃ。
心という基盤を存在しないかのように見なして、主に思い浮かべたヴィシュヴァデーヴァたちだけを瞑想するのじゃ。
そうすることによって無限の世界を獲得するというのじゃ。
つまりは神々を観想して一体化するサマーディの状態を実現するのじゃな。
聖典に記されているのはその行だと言うのじゃ。
それと同じように個人存在は精神という性質が類似しているので、ブラフマンと同一であると思念するのじゃ。
個人存在という基盤を存在しないかのように見なして、主にブラフマンを瞑想することによって、不死性という果報を獲得するのというのじゃ。
一方、附託の場合には基盤が主なので、それを附託されたものの性質をもつものとして瞑想するのじゃ。
たとえば、
「心をブラフマンとして念想すべきである」とか「太陽がブラフマンであるというのが教えである」
という聖典の文句のように。
そして同じように、ブラフマンではない個人存在を「ブラフマンとして念想すべきである」と聖典の言葉通り遂行するというのじゃ。
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