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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
712
:
避難民のマジレスさん
:2022/11/15(火) 23:57:56 ID:5XJU9Nfk0
4.4.ブラフマンとアートマンとの同」性の認識は想像上の同一視 等の性質のものであるという反対主張 p395-396
[反対主張]もし[ブラフマンと個人存在(アートマン)が同一であるという認識が すでに存在する事物を対象として]いれば、それは、多様性の現われという誤った認識 を滅するであろうし、また、儀軌の対象となることはないであろうが、[ブラフマンと 個人存在が]同一であるという認識は、すでに存在する事物を対象としているのではな い。そうではなくて、[その認識は]想像上の同一視(sampad)等の性質のものなので ある。従って、[そのブラフマンと個人存在が同一であるという認識は]、儀軌以前に は成立しておらず、人間の欲求によって成立するはずなので、儀軌の対象となるであろう。
たとえば[次の通りである]。心(manas)は、無限に変化するという点で、ヴィシュヴァデーヴァたちと類似しているので、ヴィシュウァデーヴァたちを心のなかに思い 浮かべる。そして、心という[思い浮かぺるための]基盤を存在しないかのように見なして、主に思い浮かべたヴィシュヴァデーヴァたちだけを瞑想する。そうすることに よって、無限の世界を獲得するのである。それと同じように、個人存在は、精神という性質が類似しているので、ブラフマンと同一であると思う。そして、個人存在という [同一視の]基盤を存在しないかのように見なして、主にブラフマンを瞑想狐そう することによって、不死性という果報を獲得するのである620。
一方、附託の場合には、[附託の]基盤が主なので、[それを]附託されたものの性質をもつものとして瞑想するのである。たとえば、「心をブラフマンとして念想すべきである」621とか「太陽がブラフマンであるというのが教えである」622というように。そして同じように、ブラフマンではない個人存在を「ブラフマンとして念想すべきである」623とされるのである。
脚注
620ブラフマンと個人存在は精神という性質が類似している。この類似性に基づいてブラフ マンが個人存在という基盤の上に想定される。そしてその想像上の同一視の基盤である個人存在を無視し て、ブラフマンだけが主に瞑想され、それによって不死性という果報が獲得されるのである。
621 622
623附託場合には、その基盤が主要なものであり、それが附託されたものの性質をもつものとして瞑想されるのである。たとえば、真珠母貝に銀が附託される場合に、附託の基盤は真珠母貝であり、それに銀が附託される。真珠母貝を銀だと誤認するとき、基盤である真珠母貝が銀の性質をもつものとして瞑想さ れているのである。従って、心をブラフマンとして念想する場合にも、ブラフマンの附託されている心が ブラフマンの性質をもつものとして瞑想(念想)されるのである。同じく、ブラフマンと個人存在の場合にも、ブラフマンの附託されている個人存在が、ブラフマンの性質を持つものとして瞑想されるのである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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