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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

711鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2022/11/15(火) 22:59:55 ID:V/tVZ63I0
 さらに、「解脱は、知識から生ずる新得力によって生み出されたもので、儀軌に基づいている」というこの見解を妨げる天啓聖典句がたくさんあるとシャンカラは述べているというのじゃ。
 また明知が解脱の手段であるのは、二種の無明という障害を取り除くことのみによるのであるとシャンカラは述べているというのじゃ。

 諸天啓聖典句ばかりでなく、師アタシャパーダ作の論理に基づくスートラも存在することシャンカラは述べているというのじゃ。
 師とはプラーナに次のように定義づけら れているのじゃ。
 聖典の意味を集成し、弟子たちに良い行いをさせ、自らも良い行いをするので、師と言われるのである」と。

 このような師によって次のようなスートラが著されたのじゃ。
 苦しみ、生、活動、 過失、誤った知識のうちで、それぞれ後のものが消滅すると、その直前にあるものが消滅するので、解脱が生ずるのであると。
 述べられている順序によれば、 後のものが原因であり、前のものが結果であって、原因が消滅すれば、結果は消滅するというのじゃ。

 生が消滅すれば苦しみが消滅し、活動が消滅すれば生が消滅し、過失が消滅すれば活動が消滅し、誤った知識が消滅すれば過失が消滅するのじゃ。
 そして、誤った知識すなわち無明は、食欲等を生ずるというまさに経験されて いるような形で、輪廻の根本的な原因となっているのじゃ。
 そして無明は、対立する真理の知識、すなわちブラフマンとアートマンは同一であるという認識によって、滅せられるのじゃ。

 解脱とは無明が成することによってブラフマンの本質が顕現することなのであって、明知、念想の結果でも、それによって生じた新得力の結果でもないのじゃ。
 これがこのスートラの意味なのじゃ。
 このスートラは、真理の認識に基づ いて誤った認識が取り除かれるのだという意味で紹介されているのであり、ここでアクシャバーダの見解が真理の認識だと認められているのではないのじゃ。。
 このように他学派の師も認めているので、この趣旨が確実なものとなるのじゃ。

 この他学派とはニヤーヤ学派だというのじゃ。
 観察によって認識主体などを見極めることで、悟りを目指す学派なのじゃ。


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