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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

709鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2022/11/15(火) 00:33:25 ID:H1q7SeVA0

 さらに、
 「ブラフマンを知る者はまさにブラフマンとなる」
 「高くかつ低い者を見た時、彼の行為は滅するのである」
 「ブラフマンの歓喜を知る者 はなにものも恐れない」
 「ジャナカ王よ、汝は無畏に達したのである」
 「それはまさに自らを『私はブラフマンである』と知った。それ故、それは一切となったのである」
 「[万物が]唯一であることを知った者にどんな迷いがあろうか。どんな悲しみがあろうか」

 等の天啓聖典句は、ブラフマンの明知の直後に解脱を示しているというのじゃ。
 ブラフマンの理解と解脱の中問に、遂行しなければならない他の行為が介在することを妨げているというのじゃ。

 つまりブラフマンは観てしまえば解脱は自然に起こるというのじゃな。
 ブラフマンを理解すれば、即解脱が起こるのじゃ。

 同じように、「実にこれを見て、聖仙ヴァーマデーヴァは、『私はマヌであったのだ』『私は太陽であったのだ』と理解したのである」
 という聖典句も、ブラフマンを見ることと万物のアートマンとなることとの中間に、遂行しなければならない他の行為がないことを示しているのじゃ。
 それは]ちょうど、「立っていて歌う」という言えば、立っていることと歌うこととの中問に、同じ行為者の別の行為が存在しないことが分かるのと同じようにのう。

 さらに、「実に汝はわれらの父であり、われらを無明の彼岸へ渡らせてくれるのである」
 「実に私は神聖なる聖仙たちから『アートマンを知るものは悲しみを超越する』と聞いたのです。神聖なる者よ、この私が悲しんでいるのです。神聖なる者よ、その私を悲しみの彼岸に渡らせてください」
 「神聖なるサナトクマーラは、汚れが滅した者に対して、暗闇の彼岸を示すので ある」
 等の聖典句は、アートマンの知識の果報が、専ら解脱の障害となるものを止滅することにあるということを、示しているのじゃ。

 また同じ趣旨で、師が著し論理で支えられたスートラがあるのじゃ。
 「苦しみ、生、活動、過失、誤った知識のうちで、それぞれ後のものが消滅すると、その直前にあるものが消滅するので、解脱が生ずるのじゃ。
 そして誤った知識は、ブラフマンとアートマンとが同一であるという認識によって取り除かれるのじゃ。


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