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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

701避難民のマジレスさん:2022/11/11(金) 01:51:14 ID:.FscfNds0
4.2.2.変異した部分と変異していない部分は異なっておりかつ異なっていないという反対主張 p388-389 196左/229

  [反対主張]それ(変異した部分と変異していない部分)は、異なっておりかつ異なっていないのである。詳論すれば次の通りである。すなわち、それ(両者)は、原因 を本質とするという点では異ならず、同時にまた結果を本質とするという点では異なっ ているのである。たとえば[金の]腕輪等は、金を本質とするという点では[原因である金と]異ならないと同時に、腕輪であることを本質とするという点では[原因である金と]異なるようなものである。
   [反対主張に対する反論]異なることと異ならないことというのは矛盾するから、同一の場所に共存することはない。
  [反対主張]それは正しくない。「矛盾する」というわれわれの認識は、いったいどこに存在するのであろうか。それは、認識根拠に反するようなところに存在するので ある594。一方、認識根拠によって理解されたものは、そのままの形で[正しいと認めるべきなのである]。[たとえば]「このイヤリングは金である」という同格関係に基づく認識には、[両者が]異なっておりかつ異なっていないということが明確に現れて いる。詳論すれば次の通りである。すなわち[この場合]、両者が全く異ならないとすると、[「このイヤリングは金である」という文章は]同語反復であることになってしまう。一方、[両者が]完全に異なっているとすると、牛と馬の場合のように、同格関 係か成り立たないことになる。また同格関係は、基体とその基体の上にあるものとの関係(ādhāarāheyabhāva)の場合にも、また同じ基体の上にあるものどうしの関係 (ekāśrayatva)の場合にも成り立たない。というのは、[ナツメの実とそれが置かれている基体である鉢について]、「鉢はナツメの実である」とは言わないし、また、同じ席にいるチャイトラとマイトラについて、「チャイトラはマイトラである」とは言わないからである。そしてまさに、この同格関係に基づく認識一[それは]否定されることがなく、疑問の余地がなく、すべての人が知っている一が、原因と結果は異なっておりかつ異なっていないのだということを確定するのである。このように、もろもろの結果は原因を本質としており、さらに、原因の本質が存在であることは、すべてに認められているので、結果である世界は存在を本質とするという点では、[原因であ るブラフマンと]異ならないが、壼等の結果という姿では[原因と]異なるのである。 たとえば次のように言われている。「結果という姿では多様であるが、原因を本質とするという点では異ならない。たとえば、腕輪等の姿では異なるが、金を本質とすると いう点では異ならないのである」595と。

脚注
594
595 出典不明。
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