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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
700
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/11/11(金) 00:02:57 ID:KTvQbUPE0
この永遠なもののうち、あるものは変異しつつあるが永遠なものだというのじゃ。
たとえば世界は永遠であるとする論者にとっての地等や、サーンキヤ学派にとっての構成要素のように、変異しつづけていても同一のものという認識が損なわれないものなのじゃ。
しかし解脱は最高の実在であって、変異することなく永遠であり、虚空のように遍在しており、あらゆる変化と無縁で、常に充足し、部分がなく本性上自ら輝いているものじゃ。
それには、ダルマ・非ダルマおよびその果報(楽と苦)が、過去現在未来の三時に渡って伴うことはなく、そのような身体のない状態が解脱と呼ばれるのじゃ。
何故ならば、「ダルマとも異なり、 非ダルマとも異なり、原因や結果とも異なり、過去や未来とも異なる」等の聖典句がああるからなのじゃ。
その解脱はまさにブラフマンであり、そのブラフマンについてこの考究が開始されたのじゃ。
そのブラフマンがもし、遂行しなければならない行為に従属するものとして教示されており、さらにその遂行しなければならない行為によって解脱が実現されるのだと認めるとすると解脱はまさに無常であることになるのじゃ。
そしてこのような場合に解脱は、先に述べた祭式の果報のうちの一種の優れたものでしかないことになるのじゃ。
だが解脱が永遠であることは、すべての解脱論者によって認められているから違うのじゃ。
従って、ブラフマンは遂行しなければならない行為に従属するものとしてウパニシャッドに 教示されているのではないのじゃ。
他の者は、二種の永遠性について述べているのじゃ。
変異することなく永遠 であることと、変異しつつあるが永遠であることなのじゃ。
このうち、解脱が永遠であると言う時には、その解脱は変異しつつあるが永遠であるのではないので、シャンカラはこのうち、あるものは云々と述べているのである。
というのは、変異しつつあるが永遠であるというのは、究極的なものではないからなのじゃ。
ブラフマン=解脱が変異しつつあるが永遠であるとすれば、それは、全体が変異するかあるいは一部が変異するかのいずれかになるじゃろう。
もし全体が変異するとすれば、その性質が損なれるじゃろう。
またもし、一部が変異するのであれば、その部分は、 他なの部分とは異なるか、あるいは異ならないかのいずれかじゃろう。
もし異なるとすれぱ、それは変異しないのじゃ。
実にAが変異してもBは変異しないのじゃ。
何故なら、拡大適用という誤謬に陥るからなのじゃ。
またもし異ならないならば全体が変異することもないのじゃ。
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