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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
696
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/11/09(水) 22:43:46 ID:eBxtCfAg0
反対なのじゃ。
念想から生ずる潜在印象と同じように、念想から生ずる新得力も、心の手助けをするのではないかというのじゃ。
儀軌によって命じられたことを遂行した結果生ずる果報が、現世で生ずることも実際に経験されて いるからのう。
答えたのじゃ。
そうではないというのじゃ。
ウパニシャッドの諸聖典句の意味について念想することから生ずる潜在印象は、新得力を必要とすることなしに、個人存在がブラフマンであるという直証に力があるのじゃ。
念想から生ずる新得力は、不死となる原因ではないので、不死性を望む人が新得力を遂行すべきものだと理解しているということはありえないのじゃ。
あるものを望んだのに、他のものが得られるという矛盾になるからなのじゃ。
反対なのじゃ。
不死性を望む人は、念想という行為のみを遂行しなければならないことだと理解しているのであって、新得力を遂行すべきものと理解しているのではないじゃろう。
答えたのじゃ。
念想という行為がそれ(直証)の手段であるということは、別の方法から知られるので、儀軌が無意味となるのじゃ。
念想を命ずる儀軌は籾をつくこと等を命ずる儀軌と同じではないからのう。。
何故なら籾をつくことを命ずる儀軌の場合には、制限新得力が儀軌以外のものに基づいて理解されることはないからだというのじゃ。
ブラフマンになることとは別に不死性が釈義に述べられているなどということはないのじゃ。。
ヴイシュヴァジット祭の原則に従って、天界が念想の果報だと想定すると、天界はそれより優れたものがありかつ滅してゆくものなので、念想の果報は永遠ではないことになるじゃろう。
ブラフマンとなることは、無明の覆いを取り除くだけで実現され、無明の除去は、ウパニシャッドの諸聖典句の意味を知ることに基づいてのみ可能なのじゃ。、
念想が潜在印象の原因であって、潜在印象は直証が生ずる際に心の手助けをするということは儀軌以外の方法によっても確定できる ので、「アートマンであるとしてのみ念想すべきである」というのは儀軌ではないのじゃ。
それは儀軌に似たものにすぎないのじゃ。
ウパームシュ祭に関する聖典句の場合に、「ヴィシュヌ神がウパームシュととも に供犠に供せられるべきである」等の聖典句が、儀軌に似てはいるが儀軌ではないようなものじゃ。
以上が[『註解』本文の]趣旨なのじゃ。
シャンカラは「本来的なものはすぺて永遠である。たとえば純粋精神のように。そしてこれは本 来的なものである。それ故永遠である」[という論理を述べているのじゃ。
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