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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

688避難民のマジレスさん:2022/11/06(日) 01:15:59 ID:mFE37tps0
(つづき)   p381-382
  先に述べられていたように、ダルマの知識とブラフマンの知識は異なるので、[ブラフ マンの知識は]儀軌の対象ではない、という反論を[反論者が次のように]提示してい るのである。[考究の対象に違いがあると述べられていたではないか]云々と。[それを反対主張者が次のように]退けている。そういうふうにはなりえないのである云々と。
  [反対主張]さて、アートマンを直接見ること(darśana)は、儀軌によって命じら れるようなものではない。というのは、[直接見ることという語の語根である]/drśが 知覚を表しているので、それ(直接見ること)とは、聴聞のことであるか、直接知覚の ことであるかのいずれかだろうからである。さらに直接知覚も、一般に経験されているような「私」という観念のことであるか、修習が優れたものとなった果に生ずるもののことであるかのいずれかであろう。これらのうち[まず]、聴聞は儀軌によって命じられるようなものではない。というのは、それ(聴聞)は、祭式に関する聴聞と同じように、ヴェーダの学習を命ずる儀軌のみによっても実現されるからである。また、一 般に経験されているような直接知覚(すなわち「私」という観念)も、[儀軌によって 命じられるようなものではない。というのは、それ(「私」という観念)は生得のものだからである。さらに、ウパニシャッドに説かれているアートマンを対象とする修習によってもたらされる明析さも、儀軌によって命じられるようなものではない。というのは、それ(このような明析さ)は、念想を命ずる儀軌からのみ、副産物として生ずるるものだからである。[それは]ちょうど、[クリームを作るために、牛乳にヨーグルトを入れると、副産物として乳漿[が生ずる]ようなものなのである572。従って、ウパニシャッドに説かれているアートマンを念想すべきことが、不死性を望む人という 命令の執行者に対して、命じられていることになる。一方、「[アートマンは]見られ るべきである」等は、儀軌に似てはいるが、儀軌ではないのである。まさに以上のことが、[『註解』本文中では]、さらに、それ(ブラフマン=アートマン)を念想すれば 云々と述べられているのである。
  なお「[ウパニシャッドの諸聖典句の場合には]意味があり、思惟等[を命ずる文章が]認められるので」573ということに関して、[『註解』本文中に見られる]わその他の説明については自明である。

脚注
572「熱いミルクにヨーグルトを入れ、[生じた]凝乳は神々ヴィシュヴァデー ヴァたちに、乳漿は神々ヴァージンたちに捧げるべきである」という聖典の文章の解釈をめぐって、熱いミルクにヨーグルトを入れる目的は、凝乳を生ずることなのか、それとも乳漿を生ずることなのかということが問題となっており、結論としては、目的は凝乳を生ずることであり、乳漿は副産物として生ずるのだとされている。
573 本訳374頁24行以下参照のこと。
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