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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
671
:
避難民のマジレスさん
:2022/10/29(土) 00:31:49 ID:AJCsu82w0
2.2.3.ウパニシャッドは念想等のためのものではない p370 187左/229
[反対主張]ウパニシャッドの諸聖典句は、「アートマンであるとしてのみ念想すべ きである」「アートマンのみを世界として念想すべきである」533等の念想を命じる聖典句にでてくる神格等について説いているので、念想のためのものである。
[答論]このように[反対主張者が]述べていたが、それを[師シャンカラは、次のように]批判しているのである。確かに、[ウパニシャッド中で]神格等について説いているのが、すなわちアートマン云々とのみ[言っているの]が、自己の聖典句中の (すなわち同じくウパニシャッドに説かれている)念想のためであったとしても、なんら矛盾はないと。
[反対主張]もし矛盾がないのなら、その場合には、ウパニシャッドの諸聖典旬は、神格について説くことを通して、念想を命ずる儀軌にのみ従属することになろう。
[答論]このような反対主張に対して、[師シャンカラは次のように]答えているのである。だが、ブラフマンも同じように[念想を命ずる儀軌に従属するということはありえ]ないのであると。すなわち、念想は、念想の対象、念想する人、念想[という行為]等の区別が確立していることを前提としている[ので]、あらゆる多様な区別が 取り払われているブラフマンー[それは]ウパニシャッドから知られるべきもので ある一を対象としては成り立たないのである。従って、[ウパニシャッドの諸聖典句は]、念想を命ずる儀軌に従属することはない。何故なら、[区別の存在しないブラフマ ンについて教える]ウパニシャッドの諸聖典句は、[念想の対象、念想する人等の区別に基づいて成り立っている]それ(念想)とは矛盾するものだからである。
脚注
533
(´・(ェ)・`)つ
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