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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
643
:
避難民のマジレスさん
:2022/10/17(月) 01:21:16 ID:hFEPjK6k0
(つづき) p352-353
一方、ヴヤーサの考えに従う者たちは[次のように主張している]484。「[ヴェーダは]創造され破壊されるという見解一[それは]天啓聖典・聖伝書・叙事詩等におい て確立している一に従えば、永遠なる最高のアートマンー[それは]無始の無明と結び付くことによって獲得された全知・全能を備えている一は・ヴェーダの母胎ではあっても、それら(ヴェーダ)から自立しているわけではない。何故なら、[最高の アートマンはヴェーダを]、それぞれ前に創造されたものに従って、その通りの順序で 再現するからである」と。詳論すれば[次の通りである]485。供犠等やバラモン殺し等は、ブラフマンの仮現486ではあっても、[前者が]好ましい事柄の原因であり、[後者]が好ましくない事柄の原因であるということは、新たに創造された世界において 逆転することはない。実に、創造されたどんな世界においても、バラモン殺しが好ましい事柄の原因であり、馬祠祭が好ましくない事柄の原因であるということは決してないのである。それは、火が湿っていたり水が燃えたりすることがないのと同じである。[また]、創造された現在の世界において、一定の順序に従ったヴェーダの学習は、 繁栄や至福の原因であり、それとは異なる形でのそれ(ヴェーダの学習)は、言葉の雷487なので好ましくない事柄の原因であるが、そのことは新たに創造される世界にお いても同じである。従って[最高のアートマンは]、全知であってもまた全能であっても、それぞれ前に創造されたものに従ってヴェーダを作成するのであり、[ヴェーダから]自立しているのではないのである。さらにジャイミニの徒たちも、[ヴェーダが] 人間の手になるものではないということを、人問(創造主)が[ヴェーダから]自立しているわけではないという[意味で]のみ[解釈すること]を好んでいる。そしてそのことは、意図は異なるにせよ、われわれの場合にも共通なのである。
脚注
484ここで言うヴヤーサとは、『ブラフマ・スートラ』の作者とされている伝説上の聖者のことで、「ヴヤーサの考えに従う人たち」とは、ヴェーダーンタ学派のことである。なお、この段落は、反対主張(3)「他の認識根拠に基づいて認識された対象に関する文章を創造主が作成するという意味でヴェーダは他の認識根拠に基づいているという意味なのか」に対する答であるとされる。 すなわち、創造主といえども、ヴェーダから自立しているわけではなく、それぞれ前の世界に創造されたヴェーダに従って、新たに創造した世界のヴェーダを作成するのではあるが、ヴェーダ以外の認識根拠に基づいてヴェーダを作成するわけではないので、このような反対主張は成り立たない、と言うのである。
485異本では、「たとえば」となっているが、ここでは底本の「詳論すれば」に従った。
486 不二一元論学派では、ブラフマンのみが実在であり、その他の世界等(当然供養(な→や)バラモン殺し等もそのなかに含まれる)は、ブラフマンの仮現であって実在しないとされる。
487 ヴェーダを誤って唱えると、ちょうどその言葉が雷でもあるかのように、その誤って唱えた人に対して害を及ぼすのである。たとえは次の話が有名である。トヴァシュトリが、インドラ神を打ち負かすことのできるような息子を望んで供犠を行ったとき、ヴェーダ中の(インドラを打ち負かす敵)という複合語のアクセントをまちがえて、「インドラに打ち負かされる敵」という意味で発音してしまい、そのため、その息子ヴリトラはのちにインドラに殺されてしまうという結果になったのである。その典拠として次 のような文章を挙げている。「アクセント的にもまた発音的にも誤って用いられて損なわれたマントラは、その意味を伝えない。それは言葉の雷であって、供犠の主催者に害を加える。たとえば、Indraśatrhがアクセント的に誤っていたために云々」。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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