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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
629
:
避難民のマジレスさん
:2022/10/12(水) 00:24:25 ID:dLzV7E3E0
(つづき) p345-346
[反対主張]一体なぜ、内的な[アートマン]は感覚器官の対象ではないのか456。
[答論]だから[師シャンカラは、このような疑問に対して、[すなわち、感覚器官は]その性質上云々と答えているのである。まさに同じ趣旨で、次のような天啓聖典句がある。「創造主が[感覚器官の]出口を外に向かって穿ったので、[人は]外を見て内なるアートマンを[見]ないのである」457と。[そして]実にもし、[ブラフマンが]感覚器官の[対象であれば]云々というのは、内的なアートマンが[感覚器官の]対象ではないことを明らかにしているのである。なお、〈その自相がまだ知られていない普遍を対象とする〉(sāmānyatodrrsta•rstの下に•)型の推論458も、ブラフマンに対しては適用 されないということについては、のちに明らかにするつもりである459。また同じことは、『ニヤーヤカニガー』のなかで詳しく明らかにしておいた460。さらに、すでに存在するものを対象としているという理由だけでは、[他の認識根拠によって知られたことに]再び言及しているにすぎないということにはならないということも、のちに明らか にするつもりである461。従って、すべてが明確になったのである。
[『註解』本文に引用された]「実にそれより云々」という聖典句は生起を示し、「生じたものがそれに基づいて生存し」という[聖典句]は生存すなわち存続を[示し]、「それに向かって行って云々」という[聖典句]はそこへの帰滅を示しているのである。そして、その結論の文章が、すなわち、根本物質等[が世界の原因であるのではないか]という疑問に関してここで確定的なことを述べている文章が、 「まさに歓喜より云々」 なのである462。その趣旨は次の通りである。すなわち、縄についての無知と結びついている縄を質料因とする[存在の]流れは、縄が存在するときには存在し、まさに縄のなかに帰滅してゆくのだが、それと同じように、無知と結びついたブラフマンを質料因とする世界は、ブラフマンのなかに存在し、まさにそれ(ブラフマン)のなかに帰滅していくのである、と確定したのである。
脚注
456ブラフマンとアートマンとは同一であるという前提に立っている。
457
458 推論には伝統的に、(1)煙を見て山に火があることを推論するような、その自相がすでに知られている普遍を対象とする推論一たとえば、火性という 普遍の自相については、台所で火を見たことがあってすでに知られている一と、(2)その自相がまた知 られていない普遍を対象とする推論と、(3)消去法とがあるとされる。ここでブラフマンは、その自相がまだ知られないものであるから、推論によって知られるとすれば、(2)が(通→適)用されるはずであるが、ブラフマンにはそもそも徴標がな いので、それも適用できないのである。
459 460 461
462 根本物質等の物質的存在が歓喜ではありえないのである。
(´・(ェ)・`)つ
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