したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

オショーのSadhana Pathを読んで実践する

61避難民のマジレスさん:2020/12/17(木) 20:39:19 ID:Dp/qMVVc0
私は一人ではなく、四方八方人に囲まれている。そして、私は社会の中にいるので、人生のあらゆる瞬間に誰か、あるいは他の人と接触し、関係を持つ。これらの相互関係が、私たちの人生のあり方のように思える。そして、私の行動の善し悪しは、その人間関係が良いか悪いかで決まる。

私たちは良い行動を教えられている。それが社会のために必要だから、社会的必要性だからだと教えられている。しかし、社会はあなたには何の関係もない、あなたの素朴で生まれながらの性格とは関係ない。その観点から見れば、あなたがいなくなっても社会は何も失わない。誰かとの関わりや何かとの関わりがあってこそ、社会にとって重要な存在になる。社会にとって重要なのは、あなたではなく、あなたと他者との関わりだ。社会にとって重要なのは、あなたではなく、あなたの行動だ。したがって、善行が社会から伝えられる教育の目的であることは、驚くべきことではない。社会にとって人間とは、その人の行動であり、それ以上のものではない。

しかし、この善行の教育、社会が教える道徳は、錯覚を生み出している。それは非常に根本的な錯覚を生み出している。神を悟り、宗教に到達したいと願う人たちが、真理と正義に到達するためには徳を積む必要があると信じるのは当然のことだ。神の実現は正しい行いによってのみ可能であり、真理の到来の前に徳を身につけなければならないと信じるのは当然だ。宗教と真理の実現は、道徳だけの生活から発展すると信じるのは当然で、道徳は基底であり、宗教は頂点であり、道徳は種であり、宗教は実であり、道徳は原因であり、宗教は結果であると信じているのだ。この考え方は非常に明快で正しいように見えるが、この一見単純明快な考え方は全く誤解を招くものであり、真の事実を歪曲した見方をしていることを、私はあなたに伝えたい。真相は全く違うものなのだ。

実際のところ、道徳を教えても、宗教的なことはおろか、人を道徳的にすることはできない。単なる善行は人を道徳的にはしない。変容には内面の浄化が必要なのだ。自分の内面を変えなければ、行動を変えることはできない。中心を変えずに周辺を変えようとするのは夢物語だ。その努力は無益なだけでなく、有害だ。それは自殺行為だ。それは自分自身に苦悩を押し付けることに他ならない。

この抑圧は社会の要求を満たすものであることは間違いないが、個人はその下で亀裂が入り、粉々になってしまう。それは人の中に裂け目、二面性を作り出す。人格は、その自然な単純さを失い、自分自身の中の葛藤に苦しむ。
それは連続的な闘争であり、勝利で終われない永遠の内部抗争だ。これは、個人を犠牲にして社会の要求を満たすことだ。私はこれを社会的暴力と呼ぶ。

お釈迦様や鬼和尚が善行を説くのは、悟りを得たいと思わない人に対しても、少しでも福楽がもたらされるようにという慈悲からでしょうか?


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板