したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

オショーのSadhana Pathを読んで実践する

584避難民のマジレスさん:2022/09/20(火) 03:35:29 ID:S56uQNvI0
6.2.ブラフマンを知ることは人間の目的か否か   p317-318 160右/229

  [反対主張]ブラフマンの悟りは人間の目的ではない。何故なら、人間の目的は、人間の活動によって、その存在する領域が覆われていなけれぱならない(vyāpya)367からである。だが、これ(ブラフマンの悟り)は、ブラフマンをその本性とする[ので]、生じたり、変化してできたり、浄化されて現れたり、獲得されたりすることがありえな いのである。というのは、そのような場合には、[ブラフマンは]無常であることになり、その(ブラフマンとしての)本性をそなえることが成り立たないからである。そして、生ずること等が存在しなければ、[ブラフマンの悟りが]、活動によって、その存在する領域を覆われることはないのである368。従って、ブラフマンの悟りは人間の目的ではない。
   [答論]以上のような反対主張に対して、[師シャンカラは次のように]答えている。輪廻の原因である無明等の悪を残らず滅するので云々と。確かに、ブラフマンをその 本性とするブラフマンの悟りに、生ずること等はありえない。だが、[実在であるとも 非実在であるとも]表現することのできない無始の無明のせいで、ブラフマンの本性は、輝いているのに輝いていないかのように、[自己]以外のものに基づくことなく輝 いているのに[自己]以外のものに基づいて輝いているかのように369、身体・感覚器官等とは異なるのに異ならないかのように見えるので、輪廻の原因である無明等の悪が滅せられる以前には獲得されていないかのようであって、それ(無明等の悪が滅せられること)が存在する時に獲得されたかのように見えるのである。そのため人に望まれるので、人問の目的なのであるとするのが正しい。

脚注
367 人問の目的は人問の活動の目的であるから、人間の活動が存在する領域のなかに人間の目的の存在する領域が含まれて必要がある、というのである
368ブラフマン=ブラフマンの悟り=解脱が、生じたり、変化してできたり、浄化されて現れたり、獲得されたりするものでない。このようにブラフマンの悟り が生じたりしなけれぱ、人間の活動の対象ではないことになるので、人問の活動の存在する領域のなかに含まれていないことになるのである。
369 不二一元論学派によれば、ブラフマンは自らに基づいて輝いている認識そのものであって、通常の対象の場合とは異なり、ブラフマン自身以外のものに基づいて認識されるというようなものではないとされ ている。

6.3.解脱を望む者はブラフマンを考究すべきである  p318

  なお[『註解』本文の]無明等の等という語からは、その(無明の)潜在印象が理解 されるのである。また、無明の止滅は、念想の結果である直証一[それは]内官の変 容の一種である一から[生ずる]と理解すべきである370。[さてここで師シャンカラ は、次のように]結論づけている。従って、ブラフマンが先に述べたような特徴をそな えた371解脱を望む人によって考究されるべきなのであると。実に、その(ブラフマンの)知識がなければ、無明一[それは]潜在印象をともない、様々な苦しみの原因で ある一が滅せられることはない。そして、それ(無明)が滅せられなけれぱ、苦しみ との関わりがすぺてなくなった最高の歓喜そのものであるブラフマンと[自己の]アー トマンとが同一であるという直証は、個人存在に現れることがないのである。従って、 歓喜そのものであるブラフマンと[自己の]アートマンとの同一性を望む者によって、 それ[を知る]手段である知識が求められるぺきなのである。
(´・(ェ)・`)つ


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板