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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

563鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2022/09/11(日) 23:10:24 ID:RKi7m0KQ0
 今まで論じてきた何の直後にブラフマンの考察をするのかということをやっと語るのじゃ。
 それは永遠なものと無常なものとを識別すること、現世と来世に利益を享受したい欲を捨てること、心の平静とか感覚器官の制御、あるいは心を馴らす等の手段を得ること、解脱を求める者となることなのじゃ。
 つまりは悟りを求めるための条件を満たすことじゃな。
 このような条件を満たしていれば、ダルマの考究の前でも後でも、ブラフマンを考究して知ることができるからなのじゃ。

 永遠なものとは内的なアートマンのことで、無常なものとは身体や感覚器官や感覚の対象等のことなのじゃ。

 反対なのじゃ。
 内的アートマンであるブラフマンと身体等を識別することが確知であれば、このブラフマンの考究は余分なものだというのじゃ。
 何故ならばブラフマンはこの段階ですでに知られているからなのじゃ。

 答えたのじゃ。
 識別することとは単なる知識であって確知ではないのじゃ。
 つまり内的アートマンとか、ブラフマンとか知識を得ただけではいかんのじゃ。
 自分の心の中にそれを追求する実践をして、確知を得なければいかんのじゃ。

 知識ではなく、気づきによって人は悟りを得るというのじゃ。

 反対なのじゃ。
 それでは識別は錯誤ではないが、まだ不完全なものとなるというのじゃ。
 不完全なものが離欲を生ずることはないというのじゃ。
 離欲を生じないものがブラフマンの考究の原因とはなれないのじゃ。

 答えたのじゃ。
 人は永遠なものと無常なものの基体一般およびその諸属性を区別して、確実に知るだけなのじゃ。
 そして永遠であるということは真実であり、永遠であるという性質のあるものは真実なものであるから、永遠なものは修行者の欲求の対象となるのじゃ。
 無常であるということは非真実であるということであり、無常であるという性質のある無常なものは非真実なものであるから、欲求の対象にならないのじゃ。
 要するにこの世の無常を観て考察すれば、永遠である内的アートマンを求めるようになるというのじゃな。

 そうであるから真実なものはまったく存在しないと言うべきではないのじゃ。
 真実なものが存在しなければ、真実なものに基づく非真実なものも成り立たないからじゃ。
 さらにすべては空であると主張する人たちの場合にも、空性自体が真実なのじゃ。
 仏教徒のことじゃな。


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