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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
561
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/11(日) 00:10:19 ID:hwrjf2p60
3.4。四種の条件の直後にブラフマンの考究が開始されるべきである p304- 306 154左/229
従って、Xの直後にブラフマンの考究が教示されるそのXが何か述べられ なければならない。答えて言う。それは、永遠なものと無常なものとを識別すること、現世と来世において利益を享受したいという欲求を捨てること、心の平静(śama)・感覚器官の制御(あるいは心を馴らすこと,dama)328等の手段を得ること、解脱を求める者であることである。というのは、これらが存在していれば、ダルマの考究の前でも後でも、ブラフマンを考究して知 ることができるが、その逆ではないからである。従って、「そこで」という語は、ここに述べたような手段を得た直後を示しているのである。
[師シャンカラは、これまで論じてきた]主題を結論づけて言う。従って、Xが何か述べられるべきあると。[すなわち]、Xが存在しない時にブラフマンの考究が存在せず、Xが存在する時にそれ(ブラフマンの考究)がまさに存在するような[そのXが述べられるべきである]という意味である。そこで[さらに]言う。答えて言う。永遠なものと無常なものとを識別すること云々と。永遠なものとは内的なアートマンのことで、無常なものとは身体・感覚器官・対象等のことである。
[反対主張]もしそれ(内的アートマン=ブラフマンと身体等)を識別することが確知であれば、このブラフマンの考究は余分なものとなろう。何故ならブラフマンは [この段階で]すでに知られているからである。
[反対主張に対する反論]識別することとは単なる知識であって確知ではない。
[反対主張]その場合には、これ(識別すること)は、錯誤とは異なるが、疑間の余 地があることになろう。だとすれば、[それが]離欲を生ずることはないであろう。[離欲を]生ぜずしてどうして、ブラフマンの考究の原因でありえようか。
[答論]だから、以下のように説明すべきなのである。永遠なものと無常なものは、 永遠なものと無常なものの中に存在しているから、その属性のことであり、永遠なものと無常なものの基体およびその諸属性を識別することが、永遠なものと無常なものとを識別することなのである。その趣旨は以下の通りである。
「この永遠なものが真実であり、この無常なものが非真実である」というような形で、特定の基体を識別することはないであろう。そうではなくて[人は]、永遠なものと無常なものの基体一般およびその諸属性を区別して、確実に知るだけなのである329。そして永遠であるということは真実であるということであり、それ(永遠であるとい う性質)のあるものは真実なものであるから、[永遠なものは]欲求の対象となるので ある。[一方]、無常であるということは非真実であるということであり、それ(無常であるという性質)のある無常なものは非貞実なものであるから、[無常なものは]欲求の対象にならないのである。さらに、これら「汝」という観念の対象である客観と 「私」という観念の対象である主観が経験されている時に、あるものが永遠すなわち真実すなわち幸福であると確定すれば、それは欲求の対象となるであろう。一方、あるものが無常すなわち非真実すなわち三種の苦しみ330にとりつかれている[と確定すれぱ]、それは放棄されるであろう。そして、この永遠なものと無常なものとを識別することは、前世あるいは現世に行った祭式によって心の浄化された人に、経験と論理に基づいて生ずるものなのである。
また、「実に真実なものはまったく存在しない」と言うべきではない。それ(真実なもの)が存在しなければ、それ(真実なもの)に基づく非真実なものも成り立たないからであり、また、[すべては]空であると主張する人たちの場合にも、空性自体が真実だからである。そこで、この優れた人、すなわち経験と論理に基づいて上手に考察する人は、自己および生命体の世界[全体]を[次のように]考えるのである。すなわ ち、「和および生命体すべては、生死を繰り返しながら331、サティヤ界からアヴィーチ 界332のあいだを巡っており、一瞬・ムフールタ・ヤーマ・一昼夜・半月・一季節・半年・一年・一ユガ・四ユガ・マヌ期・帰滅・最終的帰滅・最初の創造・中問的な創造[と いう時期的区分]のある333輪廻の海の波に、どうしようもなく翻弄されて、三種の苦しみにとりつかれている」と。すると[この優れた人には]、この輪廻の世界は本質的 に無常で、不浄であって、苦しみに(ほ)かならない、というプラザンキヤーナ念想334が 生じてくる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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