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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

549避難民のマジレスさん:2022/09/05(月) 02:29:27 ID:1UY5tJm60
(つづき)
脚注
287
288 śesaとは、ほかのもののためのものであって、それには、供物、祭式の際に唱えられる真言、祭式の準備、祭式中の個々の行為、これは果報のためのものである、果報、これは人の ためのものである、人、これは祭式中の諸行為のためのものであるがあるとされる。そして、 このśesaとśesinの関係は、たとえばkarmaとphaIaの場合、karmaを行う人とphalaを享受する入が 別入であれば、そのkarmaがphalaのためであるというような関係が成立しないように、行為者が同一である時に成り立つのである。そして、行為者が同一であれば、śesaとśesinのどちらかが先に行われるはずであるが、たとえばkarmaとphaIaの場合、karmaを行ってそのphaIaを享受するという順序が あるように、śesaが先でśesinが後に行われるのである。
289Dārsapūrnamāsa祭を行った者にSoma祭を行う資格があるというような場合、両祭式のあいだに、 どちらかがどちらかに従属するという関係があるわけではないが、両祭式を行う人は同一であるので、当然Dārsapūrnamāsa祭が先でSoma祭が後であるという順序がある。
290 諸祭式行為間の遂行順序を知る認識根拠として、明言、目的、 用途、言及、位置、主要、開始の六種を挙げている。この うち・ここにでてくる二番日のarthaとは、次の通りである。 たとえば「アグニホートラ祭を行う」という聖典句と、粥を 料理する」という聖典句とがある時、両者の順序は、粥はアグニホートラ祭に用いられるものであるか ら、粥を料理するほうが先であると決定する。これがartha(目的、用途)による順序である。ところ で、ダルマの考究とブラフマンの考究の場合、前者が後者のためのものであるとか、後者のために用いられるというような関係はない。
291 次に一番目のśrutiに基づく順序とは、聖典句の一文中で、「まず」「次に」等の語、ablative case,,一ktvε接尾辞(ともに順序を示す機能がある)などで、順序が明言されているような場合である。
292 293 294
295 脚注287参照。
296 脚注282参照。
297
(´・(ェ)・`)つ


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