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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

544避難民のマジレスさん:2022/09/02(金) 23:43:37 ID:Ts/y8tnc0
3.3.1.6.祭式はブラフマンの知識が生ずるのに間接白勺に役立つ(2)一時に日々義務 として行わなければならない祭式の場合 p293-

   さらに、これらの日々義務として行わなければならない祭式は、すでに身についた罪を滅ぼすことによって、人を浄化するのである。同じ趣旨で、「実に、『この自己の一部はこれによって浄化される。この自己の一部はこれによって増大する』と知る者が、自己に対する供(犠)を行う者(ātmayājin)である」273という天啓聖典旬があるが、[そこで]「これによって」で言及されているのは、供犠等だと考えるべきである。また、「これらの四十八の浄化式を備えて[いない]人は、[ブラフマンとの合一にもブラフマンと同じ世界にも達しない]」274という法典句もある。さらに、日々義務として行わなければならない祭式と臨時に行わなければならない祭式を執行することによって、汚れが(滅)せられて、心が浄化され、さらに知りたいという欲求が生じて知識が生ずるのは、無知な人の場合だけであることを示す、アタルヴァ・ヴェーダ系統の[次のような]天啓聖典句がある。「しかし、心が浄化された人は、瞑想しながら、こうして部分のないそれ(ブラフマン)を見る」275と。また、「祭式に基づいて罪が滅せられると、人に知識が生ずる」276という聖伝句もある。日々義務として行わなければならない祭式はし常に行えば、すでに身についた罪を滅して人を浄化する、とまさに確定しているので、それは、[浄化の結果である]知識の生起に対して従属関係にある。そして、 [この従属関係が]成り立つ時には、結合と分離という関係による直接的な従属関係277[を想定するの]は正しくない。想定がまわりくどくなってしまうから(gaurava)で ある278。詳論すれば以下の通りである。日々義務として行わなければならない祭式を執行すれば、ダルマが生ずる。それから罪が止滅する。それ(罪)はまさに、無常で、 不浄で、苦である輪廻を・永遠で・清浄で・楽であるとする錯誤によって、心の中の鈍 質(Cittasattva)279を汚しているのである。従って、罪が止滅すると、直接知覚と論理の道が開かれるので、直接知覚と論理によって、輪廻が無常で、不浄で、苦であるとなんの障害もなく理解する。そしてこの[理解]から、それ(輪廻)に対する離欲、 [それは]無執着(anabhirati)とも呼ばれる一が生ずる。それから、それ(輪廻)を 捨てたいという欲求がめぐってくる。それから、[輪廻を]捨てる手段を捜し求める。 そして捜し求めている時に、アートマンという真理がその手段であると聞いて、それ (アートマンという真理)を知りたいと望む。それから、聴聞等280の順序に従ってそれ (アートマンという真理)を知る。従って祭式は、心の純質を浄化することによって、真理の知識が生ずるのに間接的に役立つ、[と考えるの]が正しいのである。まさにこの同じことを、『バガヴアッド・ギーター』も[次のように]述べている。「ヨーガ[の高み]にのぽろうとする聖者こは、祭式が手段であると言われる。その[聖者]がヨー ガ[の高み]にのぼった時には、安息が手段であると言われる」281と。

脚注
273
274 脚注235参照。
275
276 出典不明。
277 脚注239参照。
278 ある事柄を説明するために想定された考えは、より簡潔明瞭であるほうが優れているわけだが・「祭式が罪を滅して心を浄化し、その結果、知識の生起に役立つと考える」のと、「祭式が、一方ではその固有の果報に役立ち、他方ではブラフマンの念想が知識を生ずるのに役立つ」と考えるのを比べると、前者 のほうが後者の前半部がない分だけ簡潔である。
279
280「等」には思惟、瞑想が含まれる。
281
(´・(ェ)・`)つ


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