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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
536
:
避難民のマジレスさん
:2022/08/30(火) 02:28:36 ID:zubZC57E0
3.3.1.3.ブラフマンの念想の結果である直証が生ずるのに祭式は必要ではない(3)一 さまざまな反対主張を退ける p289 146右/229
[反対主張]内官の変容というブラフマンの座言正を生ずるのに、それ(ブラフマン) の念想は祭式を必要とするのである。
[答論]そうではない。それ(ブラフマンの念想)と祭式の執行とが共存することは ないから、[ブラフマンの念想が]それ(祭式)と協同することはありえないからである。実に人は、「汝はそれなり」等の文章に基づいて、疑問の余地のない唯一のアートマンー[それは]本性上清浄で、悟っており、無関心であって、行為者ではないという性質をそなえ、バラモンという性質等のカーストとは無縁で、身体とは異なる一 を理解すると、[自己の]祭式に対する資格を理解することができないのである。[こ のように祭式に対する資格を理解]できない人がどうして、[祭式の]執行者であったり、[祭式を執行する]資格のある人であったりしようか。
[反対主張]たとえ真理が確知されても、錯誤に基づいて日常的経験が継続するのが経験されるではないか。たとえば、砂糖は甘いと確知しても、甘い[砂糖]を吐き出して捨てることから分かるように、感覚器官が黄疽で損なわれている人には、あいかわらず苦く感じられるようなものである。従って、無明の潜在印象が続くから、祭式の執行は存在しており、それ(祭式の執行)が明知と協同してそれ(無明とその潜在印象) を滅ぼす、というのは妥当なのである。
また、「無明を本質とする祭式が、どうやって無明を滅するのか。また、無明を滅ぼすものである祭式が、何によって滅せられるのか」と言うべきではない。というのは、 自己および自己以外の同類のものと対立する(を滅する)存在がしばしば認められるからである。たとえば、牛乳はほかの牛乳を腐らせ
、またそれ自身腐ってゆくし、毒はほかの毒を鎮め、また自らも鎮める。さらにカタカの屑は、ほかの屑で濁った水の中に 投げ込まれると、ほかの屑を沈澱させまた自らも沈澱して、水をきれいにする。このように祭式は、無明を本質としていても、ほかの無明を除去し、自らも消え去ってゆくのである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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