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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
526
:
避難民のマジレスさん
:2022/08/24(水) 23:34:22 ID:H/Jsl/Hc0
3.3.祭式に関する知識の直後ではないという答論 143右/229
3.3.1.理由(1)祭式に関する知識以前でもブラフマンの考究は可能である 祭式はブラフマンの知識が生ずるのに間接的に役立 つだけでブラフマンの念想に祭式は必要ではない p283-284
[答論]そうではない。ダルマの考究以前でも、ウパニシャッドを学習した者にはブラフマンの考究が可能だからである。
[答論]そこで[師シャンカラは]、これ(以上の反対主張を)退けて[言う]。そうではないと。何故か。何故なら、祭式に関する知識以前でも、ウパニシャッドを学習した者にはブラフマンの考究が可能だからである。
ここ(『註解』本文中)の趣旨は以下の通りである。「ブラフマンの念想一別名修習とも言う一一には祭式が必要である」と[反対主張]に述べられていた。そこでわれわ れは尋ねる。「一体どのような点で、これ(ブラフマンの念想)に祭式が必要なのか」と。アークネーヤ祭等の場合、最後に生ずる果報(天界)へと導く<最終的な目には見 えない果報(Paramap耐ava)>が将来生ずるのに、サミト祭が必要であるように244、 [ブラフマンの念想の]結果[が生ずるの]に[祭式が必要なの]だろうか。それとも、 まさにそれ(アークネーヤ祭等)には、二つに切った祭餅(Purodāsa)などの供物とアグニという神格等が必要であるように245、 (ブラフマンの念想)それ自体に[祭式 が必要なの]であろうか。
脚注
244Darśapūranamāsa祭は新月の日に行われるDarśa祭と満月の日に行われるPūrna祭からなる が、それぞれ、重要な儀式として、三種の儀式がある。そしてさらに、これらの三種 の儀式にそれぞれ従属する儀式としてSamitという儀式がある。•••長いので省略
245 供物と神格は祭式の本質的要素であり、それらがなけれは祭式自体が成り立たない。
(´・(ェ)・`)つ
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