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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

51避難民のマジレスさん:2020/12/12(土) 20:52:40 ID:Dp/qMVVc0
時代の埃が私たちの心の上に積もっている。古い習慣、古い伝統や迷信は、廃墟やさびれた家がクモの巣でいっぱいで、暗闇の鳥が住んでいるのと同じように、私たちを包んでいる。それと同じように、私たちは他人から借りた思考でいっぱいになっている。そして、真実と神についてのこれらの借りられた思考は、大きな障害となる。それらは真実を知ることから私たちを妨げている。そしてそれゆえに、自己の探求、眠っている意識を目覚めさせることができる探求は、決して私たちの中で始まることはない。

人が自分自身で真実を知ることができるようになる前に、他人から借りた知識を自分自身から取り除く必要がある。それは知ではなく、単なる情報だ。帽子の埃を払うように、他の人や古い伝統から得たすべての情報をブラシで払いのけなさい。そうすれば、あなたははっきりとした視界を持つようになり、真実と自分自身の間にあるカーテンはもうそこにはないだろう。思考の群れが壁のようにそれらの間に立っている。

真実について知ることと、真実そのものを知ることの間には、世界の違いがある。真実について知ることは、死んだ、借りた知識への隷属であり、真実そのものを知ることは、自己実現の空(そら)の自由な広がりなのだ。一方はあなたの飛ぶ能力を奪い、他方はあなたを神へ連れて行くことができる翼を与える。

私があなたに空虚について、空(くう)について話しているのは、このような理由からだ。空は思考の重荷を取り除く。人が山に登る前に自分の重荷を平地に置かなければならないのと同じように、人は真理への遠征に出発する前に、思考の重荷から解放されなければならない。登山家は軽くなればなるほど、高く登ることができるようになる。同じように、真理の山に登ろうとする者は、その重荷の無さ、空に比例して高みを目指す。頂点を目指す者、至高の存在を目指す者は、存在が無になる究極の虚無に到達しなければならない。完璧さの頂点は虚無の深淵で起こり、存在の音楽は無存在の沈黙から出てくる - そして、涅槃そのものがブラフマン、創造者、神の実現であることを知る。

できるだけの時間、自分の心を観ようとするのですが、つい忘れてしまうことがあります。あと、観察に疲れたり飽きたりするというのは、観察ができていないという証拠なのでしょうか?


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