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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
493
:
避難民のマジレスさん
:2022/08/09(火) 10:25:53 ID:mHBnFMpY0
2.12.附託の具体例 p261-262 132右/229
附託とはXでないものの中にXを認識することである、と我々はすでに述 べた。例えば、妻子等が病気であれば、「私は病気である」と思い、健康であ れば、 「私は健康である」と思うが、これは外的なものの属性をアートマン に附託しているのである。それと同様に、身体の属性を[アートマンに]附託すると、「私は太っている」「私は白い」「私は立っている」「私は行く」「私は 越える」と思うのである。同様に、感覚器官の属性を[アートマンに]附託す ると、「私は唖者である」「私は片目である」「私は不能である」「私は聾者であ る」「私は盲目である」と思うのである。同様に、内官の属性、すなわち、愛欲・思惟・疑惑・決定等を[アートマンに]附託する。このように「私」とい う観念をもつもの(内官)178を、その一切の活動を観照している内的アートマンに附託し、またそれとは逆に、一切を観照するこの内的アートマンを内官等に附託するのである。
[師シャンカラは]これまで、アートマンと非アートマンとの相互附託を、反対主張 と[それに対する]答論を通じて[まず]明らかにし、次に、認識根拠・認識対象[等の区別に基づく]日常的経験について論ずることで、[この相互附託を]確固たるもの とした。そして、それ(アートマンとの相互附託)が諸悪の根源であることを[これから]例をあげて詳しく説明するために、[ここで師シャンカラはまず]すでに述べたそれ(相互附託)の本質を[次のように我々に]想起させるのである。附託とはXでない ものの中にXを認識することである、と我々はすでに述べたと。これは、[附託とは]以前に知覚されたXが想起の姿で、別の場所Yに顕現することである179を要約して述 べているのである。この(アートマンと非アートマンとの相互附託の)うち、「私のもの」という[形で経験される]属性の附託の生じていない、単なる基体の同一性の附託 一[それは]「私」という[形で経験される]一は、諸悪の根源ではないのであっ て、属性の附託、すなわち「私のもの」という観念こそが、輪廻という一切の諸悪の直接的な原因なのである。
脚注
178
179 本訳216頁参照。
180『註解』本文では、それそれ、「健康」「病気」を意味するが、BhāmatĪはそれを、「完全」「不完全」の意味にも解している。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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