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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
490
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/08/08(月) 00:02:36 ID:AtgM3b4U0
答えたのじゃ。
そのような祭式を執行する資格について述べている聖典は、天界を望む者が天 界と関係していなければ成り立たないということを暗に意味しているだけというのじゃ。
天界を望む者が輪廻の主体ではないということを意味していないのじゃ。
輪廻の主体ではないという性質は、祭式を執行する資格と合わないからというのじゃ。
アートマンは、行為の主体でも経験の主体でもないから、祭式を執行する資格と矛盾するのじゃ。
何故ならば祭式という行為を執行する資格のある者、行為の主とは、行為から生じた果報の享受を経験する者であるからなのじゃ。
認識の主体であるアートマンは、行為の主体ではないからなのじゃ。
そうであるから儀軌と禁令を扱う聖典は、無明によって自分を行為主体、経験主体、バラ モン等と思い込んでいる人を対象と しているのじゃ。
同じように諸ウパニシャッドも、無明を持つ者だけを対象としているというのじゃ。
認識識主体や認識対象等の区別がなければ、諸ウパニシャッドの意味が理解されることはないからなのじゃ。
諸聖典は無明を持つ者に関係しているのである、と確定したのじゃ。
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