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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
488
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/08/06(土) 23:32:19 ID:DaOPWT1A0
しかし祭式の執行等に関しては、アートマンが他の世界と関係していることを 知らなくては執行資格はないというのじゃ。
それでも輪廻しないアートマンという真理の実現は、祭式等を執行する資格として前提とされていないのじゃ。
アートマンは祭式執行の役には立たず、また資格とも矛盾するからというのじゃ。
聖典はこのようなアートマンの認識が起こる前には機能するのであるから、聖典が無明を持っている者に説かれることは正しいのじゃ。
例えばバラモンは祭式を執行すべきである等という諸聖典句は、アートマンに対する、階層や生活期や年齢や状態等の特殊性の附託に基づいて機能するのじゃ。
反対なのじゃ。
天界を望む者はジュヨーティシュトーマ祭を執行すべきである等と書いてある聖典は、身体のアートマンヘの附託を通じて機能しているのではないのじゃ。
この場合には来世で果報を享受するのに適した者に、祭式を執行する資格があると考えられるのじゃ。
身体等は死後には灰に帰すものであるから、天界で果報を享受できないのじゃ。
そうであるからそれらの聖典は、祭式を執行する資格のある者が身体とは異なるものであることを暗に意味しているのじゃ。
祭式を行う資格のある者とは、すなわち身体とは異なるアートマンを理解している者なのじゃ。
そうであるから聖典は、無明を持つ者と関係していないのじゃ。
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