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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
465
:
避難民のマジレスさん
:2022/07/26(火) 02:44:05 ID:q9S9X5JI0
(つづき) p242-243
[反対主張]だから[反対主張者は、「註解』本文中で]というのは、すべての人は、眼前に存在する対象に[それとは]別の対象を附託するのであると言っているのであ る。この(本文の)趣旨は次の通りである。[自己]以外のものに基づいて輝き(認識さ れ)、かっ、部分のあるものXは、[Yと]共通な部分が認識されて[も]、[認識]器官 に欠陥があるために、[Xに]特有の性質が認識されない場合には、Yとして輝く(認 識される)ことがある。しかし、内的アートマンは、もし、[自己を認識するのに、認識器官を必要とするの]なら、それ[認識器官]に存在する欠陥に影響されることもあろうが、[自己]以外のものに基づくことなく輝いている(認識されている)ので、 自己を認識するのに、[認識]器官を必要としない。また、[内的アートマンに]、もし [部分があれ]ば、そのある部分は認識され、ある部分は認識されないということもあろうが、[内的アートマンには]部分はない。実に、XがXそれ自身によって、同時に、 認識されたり認識されなかったりすることはないのである。従って、[内的アートマン は]自ら輝いており(自己自身によって認識され)[部分がない]とする見解においては、附託はありえないのである。また、[内的アートマンが]常に輝かない(認識され ない)場合にも、[内的アートマンに対する]附託はありえない。何故なら[そのよう な内的アートマンには]眼前に存在するという性貰、すなわち、直接に知覚されるとい う性質が存在していないからである。実に、眼前に存在しない真珠母貝に、「これは銀 である」という形で銀を附託することなどないのである。従って、完全に認識されているものや全く認識されないものに対しては附託はありえない、と確定した。
[反対主張に対する反論]もし、純粋精神であるアートマンが実際に対象でなければ、[それに対する]附託はありえないであろうが、純粋精神であるアートマンは、まさに、「私」という観念の対象なのである。従って、附託のありえないことなどどうしてあろうか。
[反対主張][だから『註解』本文中で反対主張者は]どうして、対象でない内的アー トマンに対象とその諸属性を附託できるのかと言っているのである。実に、もし、純粋精神であるアートマンが対象(客観)であれば、[それとは]別のものが主観である ことになってしまう[が、それは理に合わない]。従って、主観こそが純粋精神である アートマンであり、対象(客観)は、それ(純粋精神であるアートマン)とは異なり、「汝」という観念の対象であると認めるべきである。それ故、[純粋精神であるアートマ ンが対象(客観)であれば、それは]アートマンでないことになってしまうという誤謬に陥るから、[次々に主観が必要となるという]無限遡及[に陥るの]を避けるため に、「汝」という観念とは無関係なもので、対象ではない[と述べられている]のである。まさに、以上の理由で、アートマンは対象ではないと言うぺきなのである。だから、[アートマンに対する]附託はありないのである。以上が[『註解』本文の]意味である。
(´・(ェ)・`)つ
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