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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
463
:
避難民のマジレスさん
:2022/07/25(月) 07:31:35 ID:6b9WITxg0
(つづき) p241-242
[反対主張]これ(認識)は、[身体とアートマンの結合とは異なり]、自ら輝くもの であるが、[その]輝きは、蛍[の光]のように、自己自身を[照らす]だけであって、 対象に関しては物質的なものである(対象を照らすことはない)。このことは、[学者で ある息子とその父親の例で]119すでに明らかにした通りである。
また、対象は、輝き(認識)を本質とするものではない。何故なら、それら(対象)は、[外界に存在する]有限なもの、すなわち、長いものや粗大なものとして経験(認識)されるが、この輝き(認識)は、内的なものとして、また、粗大でないもの、微細ででないもの、長くないもの、短くないものとして輝いている(顕現している)からである。従って、対象は、自ら輝いているもの(認識)とは異なり、月が[二つに]見える時の二つ目の月のようにまさに[実在であるとも非実在であるとも]表現し得ないものである120。このように[考えるのが]正しいと我々は思っている。また、この輝き (認識)には、本来、本質的な違い(svalaksanabheda)は見られない。[従って、この輝き(認識)が同じく自ら輝いている唯一のアートマンと同一であることにさしさわり はない]121。
また、[対象がそれぞれ異なるから、その輝き(認識)もそれぞれ異なるということはない。実在であるとも非実在であるとも]表現し得ない対象が異なるからという理由 で、[それとは全く異なり、実在であると]表現し得る輝き(認識)も[それぞれ]異な るとすることはできないのである。何故なら、[理由の適用する範囲が]広すぎる、という[理論上の]誤謬りに陥るからである122。また、対象どうしの相互の違いは、正しい認識への過程の中には存在していないということも、のちに明らかにされること であろう。従って、この輝き(認識)とは、自ら輝いており、唯一で、変異すること なく永遠で(kūtasthanitya)、部分のない、内的なアートマン(pratyagātman)のことである。[そしてそれは、実在であると]表現し得るアートマンが[実在であるとも 非実在であるとも]表現し得ない身体・器官等とは異なる(pratīpa)と認識している (añcati)から、内的(pratyń)であり123、そのアートマンが内的アートマンなので ある。
それ(内的アートマン)は、[自己]以外のものに基づくことなく輝いて(認識されて)おり、かつ、部分がないから、対象ではない。それ(対象ではない内的アートマン) に対象の諸属性を、すなわち、身体・器官等の諸属性を、どうして附託できるのか。どうしてというのは反論の意味である。すなわち、その反論とは、この附託は理に合わ ないということである。
[反対主張に対する反論]では、何故、これ(附託)は理に合わないのか。
脚注
119 本訳239頁23行以下参照。
120 本訳236頁参照。
121
122 その理由として、もし、対象がそれぞれ異なるから、認識もそれぞれ異なるとすると、それは、池などに映った太陽が多数あるから、太陽も多数であると考えるようなものであるという例をあげている。
123ここでは、「内的アートマンの、内的という語を分解して、その語義を説明しているのである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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