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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

462鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2022/07/25(月) 00:42:30 ID:TD/s1y0g0
 答えなのじゃ。
 認識の本質は、対象とアートマンに結びついているというのじゃ。
 認識が機能していれば対象もアートマンも認識されるというのじゃ。

 反対なのじゃ。
 認識と対象やアートマンは常に結びついているというのじゃ。

 答えなのじゃ。
 対象とアートマンが輝いている(認識されている)時に共に(顕現するというのじゃ。
 対象とアートマンが認識されていない時は、顕現しないのじゃ。

 反対なのじゃ。
 それならば認識は自ら認識するものではなくなるというのじゃ。
 
 答えなのじゃ。
 認識が顕現していることと、対象とアートマンが認識されていることが認識だというのじゃ。

 反対なのじゃ。
 それでは認識は対象とアートマンと共に存在するということになるというのじゃ。
 そして前に説いた認識されている時に顕現するというのと違うのじゃ。
 さらに過去や未来の対象に関する今の認識も、対象と共に存在することになるというのじゃ。

 答えたのじゃ。
 過去や未来の対象に対する認識は、排除、受容、無関心という意識を生み出すから、それらの対象と共に存在しているのじゃ。

 反対なのじゃ。
 排除等の意識も対象に関する今の認識と同じように、過去や未来の対象と共に存在していないというのじゃ。

 答えたのじゃ。 
 排除等の意識は、排除等を[実際に]生み出す から、対象と共に存在しているのじゃ。
 
 反対なのじゃ。
 対象の認識は、対象を排除したり、受容したりする原因であるから、対象と共に存在しているとすると、身体とアートマンとの結合は、身体が対象に向 かったり対象から退いたりする原因であるからその結合も、対象の認識になるのかというのじゃ。
 
 答えたのじゃ。
 身体とアートマンとの結合は、物質的なものであるから、 対象の認識ではないのじゃ。


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