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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
454
:
避難民のマジレスさん
:2022/07/21(木) 08:49:14 ID:3wdMPGqs0
2.5.附託の定義のまとめ p236-237 120左/229
しかし、いずれにしても、[これら附託の定義は、附託とは]Xの属性がY に顕現することであるとすることがらはずれることはない。世間での経験も また同様である。[たとえば]真珠母貝が銀であるかのように顕現するとか、 一つ[しがない]月が二つであるかのように[顕現する]というように。
[反対対主張]諸論者問の見解の相違はそのままにしておこう。ところで、[「註解』 本文中の]文脈の中で、[シャンカラが]言おうとしていることは、一体、何なのか。
[答論]それに対して、[師シャンカラは]、しかし、いずれにしても、[これら附託
の定義は、附託とは]Xの属性がYに顕現することであるとすることがらはずれること はないと言っているのである。附託とは]Xの属性をYに誤って構想することである とは、[附託は]虚妄であるということ(anrtatā)である。そして、それ(附託が虚妄 であるということ)は、[附託が実在であるとも非実在であるとも]表現し得ないもの である、ということにほかならない。このことは、以前に、明らかにしたところであ る107。従って、[附託が]Xの属性をYに誤って構想すること、すなわち、[実在であるとも非実在であるとも]表現し得ないものであるということは、あらゆる論者の[附 託に関する]見解の中で、必ず認められている。従って、[附託が実在であるとも非実 在であるとも]表現し得ないものであるというのは、あらゆる学説と矛盾しない事実で ある。以上が[『註解』本文の]意味である。[誤認とは知覚と想起とが異なることを] 認識しないことであるとする人々(Akhyātivādin)も、[「これ」と「銀」とが]必ず同格関係で表現され、[「銀」を求める人が「これ」という語(観念)の対象に]必ず向か
うという事実を無視できないために、いやいやながらも、このこと(附託が実在であるとも非実在であるとも表現し得ないものであること)を認めている、というのが現状で ある。
この[附託が]虚妄であるという事実は、単に、諸論者の間で確立しているだけでは なく、世間の人々の間でも[良く知られている]。だから、[師シャンカラは]世間での 経験もまた同様である。[たとえば]真珠母貝が銀であるかのように顕現するようにと 言っているのである。[この本文は]「しかし、それは、銀ではない」を補って読むべき である。
[反対主張]Xの性質がYに存在するという形の誤認は、世間の人々に良く知られて いる。しかし、一つ[しかなくて]かつ区別のないものには、区別に基づく誤認は見られない。従って、純粋精神であるアートマンとの区別のない諸個人存在に関して、ど うして、区別に基づく誤認があろうか。
[答論]だから、[師シャンカラは]、一っ[しかない]月が二つであるからのよう にと言っているのである。
脚注
107 cf.Bhāmatī,p.18。
(´・(ェ)・`)つ
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