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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

440鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2022/07/14(木) 23:50:40 ID:wWrqg5gM0
 しかし、他のものは付託とは、XがYに附託された時、それらの区別を理解しないことに基づく誤認だというのじゃ。
 唯識のものがいうように、たとえば銀の形相が経験に基づいて確定されるならば、それは銀の観念ではないというのじゃ。
 なぜならば唯識論者にとって観念と認識主体は異ならないから、私は銀であるという認識が起こるというのじゃ。

 唯識論者は反対するのじゃ。

 認識の対象は自分ではないからそれはないというのじゃ。
 外界に存在する銀等が識の形相であることは、それを拒斥する観念から知られるというのじゃ。
 なぜならば外界に存在する銀等を拒斥するものが観念であるから、拒斥されるものである銀等も観念のはずであるというのじゃ。

 
  答えたのじゃ。

 銀等を排斥する観念は、眼前にある実体と銀とを識別するのか、それとも銀が識の形相であることを示すのかと聞くのじゃ。
 銀等を拒斥 する観念の機能は、それ識の形相であることを示す点にあると言うのなら間違いなのじゃ。

 反対なのじゃ。

 銀が眼前にあることが否定されたのであるから、当然それは内的なものであり、識の形相だというのじゃ。

答えたのじゃ。

 それはただ銀が認識主体の近くにないことを示しただけなのじゃ。
 それだけで認識主体を本質とするということにはならないのじゃ。


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