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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
437
:
避難民のマジレスさん
:2022/07/13(水) 10:33:39 ID:WCu/3GdE0
2.2.他学派による附託の定義(1):Ātmakhyātivādin 1. p225-226 114右/229
そして、この[実在であるとも非実在であるとも]表現し得ない附託一[その]定義は先に述べた通りである一は、実に、すべての人が認めているところである。[しかし]、その(附託の)詳細(bheda)に関しては、諸論者間に相当な見解の相違がある。 そのため[『註解』の作者シャンカラは、附託が実在であるとも非実在であるとも] 表明し得ないものであることを確定するために、[次のように]述べているのである。
ある人々81は、それ(附託)とは、Xの属性82を別の場所Yに附託すること (文字通りには、別の場所Yに対するXの属性の附託)であると言っている。
Xの属性のとは、識(認識)の属性の、[たとえば]銀の識の形相(jñānākākra)の、 等々[という意味]である。[それを]別の場所Yに、すなわち外界に、附託する。ま ず、経量部の見解では、外界の事物は実在であり、それ(外界の事物)に識の形相が附 託されるのである。[一方、唯識論者によれば]、外界の事物は実在しないが、無始である無明の潜在印象(Vāsanā)より生じた外界[の事物]ー[それは]虚妄であるーが存在する[から]、唯識論者の場合にも、それ(外界の事物)に識の形相が附託され るのである。[唯識論者が、外界の事物は虚妄であっても存在する、と認めている]理 由(upapatti)は次の通りである。すなわち、経験によって良く知られた姿は、[それ を拒斥する観念が生じないうちは]、そのままの姿で[存在するものと]認めておくぺ きである、という原則があるからである。というのは、それ(経験によって良く知られ た姿)が[拒斥されて、それとは]別の姿になるのは、[その経験を]拒斥するより強 力な観念の力によるからである。そして、[たとえば「これは銀ではない」83という拒斥の場合、[それは、銀が外界に存在することを示す] 「これ」という性質のみを拒斥 することによって可能となるのである。[従って]、この場合、[拒斥の]対象が銀であ るというのは適当ではない。というのは、銀という基体が拒斥されると、銀とその属性である「これ」という性質が[共に]拒斥されることになるから、基体である銀も拒 斥される[と考える]よりは、これ(銀)の属性である「これ」という性質だけが拒斥 される[と考える]ほうが、理にかなっているからである。そして、このように、銀が 外界に[存在在すること]は拒斥されるから、当然(arthāt)、銀は内的な識に[存在 するのだと]確定されるのである。従って、外界に、識の形相が附託されることが確立 されるのである。
脚注
81 82
83 以下、真珠母貝を銀と見誤る例に基づいて論議が進められるので、理解しやすくするため、適宜、真珠母貝と銀の例を補った。
くま注、経量部、部派仏教の一派である。説一切有部から分派した。3世紀末に開かれた。説一切有部、及び大乗仏教の中観派・唯識派と共に、「インド仏教4大学派」の1つに数えられたりもする。
説一切有部が論(アビダルマ)を重んじたのに対して、経典を重んじて基準(量)としたため、「経量」部と呼ばれた。
(´・(ェ)・`)つ
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