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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
433
:
避難民のマジレスさん
:2022/07/11(月) 00:03:26 ID:DotYiV8Q0
(つづき) p223-224
[反論者の答]実在である識[のあり方]は、非実在に基づいて決定される、という
のが実在である識と非実在との関係である。
[反対主張][対象が]実在しなくても、これ(識)[のあり方]が決定されるとは、 このあわれな観念(識)は、実になんとまた運のいいことだろう。[そんな馬鹿なこと があるはずはない]。また、観念がそれ(非実在)に基づくことなど全くありえない。 というのは、非実在が基体となるのは埋に合わないからである。
[反対主張に対する反論][確かに]これ(観念)が非実在に基づくことは決してな い。しかし、観念は、[常に非実在と共存しているから]、非実在がなければ現われる (prathate)ことはない。それが、まさに、観念の本質なのである。
[反対主張]この観念は、それ(非実在)から生じるわけでも、それ(非実在)を本 質とするわけでもないのに、それ(非実在)と必ず必然的関係(avinābhava)にある とは、実になんとまた、非実在に未練がましいことか。[しかし、そんな馬鹿なことが あるはずはない]。従って、[以上の論議から明らかなように]、身体・器官等は、実在性(tattva)のない完全な非実在(atyantāsat)であって、経験の対象とはなりえない のである。
[答論]ここで答えて言う。もし、実在性のないものは経験の対象とはならないとす ると、[光線(屡気楼の水)は水を本質とするものとして]経験の対象となっているから、 この場合、光線(唇気楼の水)も水を本質とするものとして実在している(satattva) ということになるのではないか。
[反対主張][光線(蟹気楼の水)は]実在ではない。光線(蟹気楼の水)は、それ (水)を本質とするものとしては、実在しない(asat)からである。そもそも、事物のあり方(tattva)には二種ある。すなわち実在(sattva)と非実在(sattva)とである。 このうち、前者は、自らに基づいて(自己を本質として)[存在して]おり、一方、後 者は、他に基づいて(他の事物を本質として)[存在して]いる。このことが、「常に実在でありかつ非実在である事物に関して、ある人々は、ある時に、[事物]それ自体 の姿で、ある姿(実在)を認識し、ある人は、ある時に、[事物とは]別の姿で、ある 姿(非実在)を認識する」78と言われているのである。
[答論]だとすると、光線(蟹気楼)を[見て]水が現われたと認識するの(pratyaya) は、真理(実在、tattva)を対象とする[認識だ]ということになるのだろうか。そう だとすると、[この認識は]正しい認識であり、従って、誤認ではないことになり、拒 斥されることもないはずである。[しかし実際には、この認識は誤認であり、のちに生じた認識によって拒斥されるではないか]。
[反対主張]もし、[この認識が]、光線(屡気楼の水)一それは、実際には、水を本質とするものではない一を、水を本質としないものとして認識していれば、確かに、[この認識は]拒斥されることはない[し、誤認でもない]。しかし、[光線(蟹気 楼の水)を]水を本質とするものとして認識している場合には、[その認識が]どうし て誤認でなかったり、拒斥されなかったりしようか。
脚注
78
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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