[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
オショーのSadhana Pathを読んで実践する
291
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/03/26(土) 20:58:19 ID:1d4drIFg0
二つ目の心生滅門の解釈なのじゃ。
まだ悟りを得ていない心に生滅の観念を持つ者は、真如が心の底に隠され居ている如来蔵の状態であるから生滅があると認識するのじゃ。
更に真如の不生不滅と生滅の観念が和合して、一つでもなく、異なることもない阿頼耶識になるのじゃ。
この阿頼耶識にまた2種の意義がまたあるのじゃ。
それは一切の法を包含し、一切の法を生じるのじゃ。
その二つとは覚と、不覚なのじゃ。
一つ目の覚とは心が観念を離れた状態なのじゃ。
観念を離れた有様は虚空の海に等しいのじゃ。
全てに遍満している本質に達しているのじゃ。
法界の一相のみであり、これが即ち如来の平等法身なのじゃ。
この法身によって本覚と説いているのじゃ。
この本覚があるから対して始覚があるのじゃ。
それも実は本覚と同じなのじゃ。
始覚とは本覚があるから不覚があり、不覚によって始覚ありと説かれるのじゃ。
心源を覚るが故に究極覚とも名づけるのじゃ。
心源を覚らなければ究極覚ではないのじゃ。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板