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オショーのSadhana Pathを読んで実践する

148避難民のマジレスさん:2021/01/28(木) 20:48:59 ID:Dp/qMVVc0
第五の質問: 私は偶像崇拝者ですが、あなたの視点から見ると、偶像の必要性がないように思えます。あなたはそれを諦めるように私に助言しますか?
私は何も諦めなさいとは頼んでいないし、引き受けなさいとも頼んでいない。目覚めなさいと呼びかけているだけだ。あなたが目を覚ますとき、あなたの夢が終わっているときには、それは別の話になる。行動は意識のレベルに応じて変化する。子供は大人になると自動的に人形遊びをしなくなる。それを手放すための努力をせず、それは自動的に止まる。

昔、村のはずれに一人のサドゥーが住んでいた。彼は扉のない小屋で一人で暮らしていた。家の中には扉を必要とするものは何もなかった。ある日、何人かの兵士が通りがかった。彼らは小屋に入り、水を求めた。そのうちの一人が、なぜサドゥーなのに、小屋のどこにも神の偶像がないのかと尋ねた。サドゥーは答えた。「この小屋はとても小さい。二人分の場所があるでしょうか?」と。

兵士たちはサドゥーの言葉を面白がって、次の日には神の像をプレゼントした。しかし、サドゥーは「神自身が長い間ここに住んでいるので、どんな神のイメージも必要ありません。そして『私』は無くなってしまった。ここには二人分の場所がないのがわかりませんか?」と言いました。兵士たちは、彼が自分の心を指し示しているのを見た。それが彼の小屋だった。

神には形がない。そしてそれゆえに、その存在は無定型で、形がない。意識も形を持つことはできない。それは無限なのだ。それは始まりも終わりもなく、ただ存在し、始まるということも終わるということもない。

これらの像を作る私たちは何と愚かなのだろう。私たちは自分で作った偶像を崇拝しているのだ。人間は自分の形に基づいて神の像を作ったので、このようにして、自分自身を崇拝することになってしまう。これは、自己欺瞞、エゴイズム、無知の極みだ。

私もイメージに惹かれる自分が愚かだとよく思いますが、結局は自我を滅しない限りは解決しません。イメージに惹かれる心も詳しく観察し続けます。


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