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オショーのSadhana Pathを読んで実践する
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避難民のマジレスさん
:2021/01/12(火) 20:52:47 ID:Dp/qMVVc0
まさにあなたの目を開くこと、この見ることこそが変容であり、新しい生の始まりだ。目を開くと変化が始まり、その後の行動は何をするにしても、あなたを真理へと導く。闇の層を突き破り、光の中へと歩を進め、罪の網を一掃して神を得る、無知に致命的な打撃を与えて、魂に到達するのだ。
これは、自己実現への旅のための、修行のための正しい道だ。そして、その前に夢を見る必要はない - 魂と神についての夢、サット・チット・アーナンダとブラフマンについての夢を見る必要は無いのだ。これは本当の楽園が失われている間、愚か者の楽園に住んでいるようなものだ。あなたもまた、行為の道によって、カルマによって、無知と闇を払拭することによって、完全な状態、サット・チット・アーナンダに到達することができる。
昨夜、ある人にサットサンガとは何かと聞かれた。私は答えた。サットサンガとは、自己の仲間、真理の仲間を意味する、そして真理は外では見つけられない。グルも、先生も、シャスターラも、あなたにそれを与えることはできない。それはあなたの中にあり、もしそれを得たいのなら、あなた自身の仲間を求めなさい。自分自身と一緒にいなさい。しかし、私たちは常に誰か他の人と一緒にいるのであって、決して自分一人ではない。
エックハルトは、かつて孤独な野原の木立の下に一人で座っていた。通りすがりの友人が彼がそこに座っているのを見た。その友人は近づいて言った。 「私はあなたが一人で座っているのを見て、一緒にいてあげようと思ったので、あなたに加わるためにやってきました。」 あなたはエックハルトが何と答えたか知っているだろうか? 彼は言った。「私は自分自身といたが、あなたが来てくれたので、今私は完全に独りになった。」
こんなふうに独りでいたことがあるだろうか? これがサットサンガだ。 これが祈りだ。 これが瞑想だ。私は自分の中に独りでいて、何の考えも、誰についての考えもないとき、私は自分自身の仲間の中にいる。外の世界が不在の時、内には自己の仲間がいる。その同伴者のない孤独の中で、あなたの純粋な存在の中で、真理が実現される。
―
「カルマによって」とありますが、意味がよくわかりませんでした。行為の道(the path of action)→(良い)カルマ→無知と闇を払拭でしょうか? カルマと関係なく、正しく観察すれば気づきがあるのかと思っていました。
また、エックハルトの答えについても教えてください。自分の思考に気づいたということかと思ったのですが、もし完全に独りになったのなら、友人と会話できないのではないでしょうか。
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