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鬼和尚に聞いてみるスレ part16

997避難民のマジレスさん:2020/08/26(水) 15:32:57 ID:DtrAET0.0
(パーリ仏典入門 より引用)

パーリ 増支部 カーラーマ経
仏がコーキラ国を通行し、ケーサムッタというカーラーマ族の町に入られたこきの説示で
ある。
その町には多くの沙門 バラモン(論者)がやって来ては、自説を称賛し、他説を非難していたという。
人々はだれの説が真実であるかに戸惑い、仏に質問する。 そこで仏はこういわれる。

「カーラーマの者たちよ、 そなたたちが迷うのも当然です。疑うのも当然です、迷うところに疑いが生じるからです。
カーラーマの者たちよ、そなたたちは風聞によって (以前に聞いたことがあると)認めてはなりません。
伝統によっても(代々伝えられていると) 認めてはなりません。
憶説によっても認めてはなりません。
聖典との合致のみによっても認めてはなりません。
理屈によっても認めてはなりません。
原理によっても認めてはなりません。
様相の考察によっても認めてはなりません
見解の散受によっても(単なる予見によって)認めてはなりません。
見せ掛けの可能性によっても(認められそうだと)認めてはなりません。
『この沙門はわれわれの師である』ということによっても認めてはなりません」

と。仏はさらに続けられる。
その法が「善である」「無罪(非難されないもの)である」「知者の称賛するものである」「利益のため、安楽のためになる」と知るならば、それをそなえて住むべきである。
貪(貪欲)·瞋(怒り)·痴(無知)を離れ、正念(現象の知覚)と正知(現象の正しい理解)をそなえ、慈(慈悲)·悲(哀れみ)·喜·捨(平静)の心を満たすように、と
一切の権威、固定観念によらず、智慧により、無貪·無瞋·無痴を見よ、自己(現象)を見よ、と教えられたものである。

https://komyojikyozo.web.fc2.com/an/an03/an03c066.htm


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