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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

967避難民のマジレスさん:2020/06/14(日) 19:00:34 ID:6WGU8YJM0
くまめも1-1-2

 あらゆるものごとにあるがままに気づくことは、可能か。有るものを認めること、気づくこと、発見することが、格闘を終わりにする。
自らが何であるかを認めること、気づくことが、すでに英知の始まり、理解の始まり。それが、あなたを時間から解放する。時間-年代的な意味ではなく、媒介として、心理的な過程、精神の過程としての時間-の性質をもたらすことは、破壊的だし、混乱を造り出す。
 それで、私たちは有るものを、非難せず、正当化せず、同一化せずに認識するとき、それについての理解を持てる。人が一定の条件に、一定の状態にあることを知ることが、すでに解放の過程。しかし、自分の条件、自分の格闘に気づいていない人は、何か自分以外のものになろうとする。それが習慣を生じさせる。だから、そのとき、私たちは有るものを検討したい、何が現実であるのかを、どんな偏向も加えず、どんな解釈もつけずに、正しく観察し、気づきたいということを、心に留めておく。有るものに気づくこと、付いていくことは、機敏な精神、柔軟な心を必要とする。なぜなら、有るものは常に動いていて、常に変化を受けているから。そして精神は、信念に、知識に繋がれているなら、それを追求するのを止める。有るもののすばやい動きに付いていくのを止める。それは、精神が静止して、信念に、先入観に、同一化に固定されているとき、否定される。そして干からびた精神と心は、有るものにたやすく、すばやく付いていけない。
 人は、集団的とともに個人的な混沌、混乱、悲惨があるということに気づいている。それは世界中至るところにある。この混乱に気づくと、今日、私たちの応答は何か。私たちはどのように反応するのか。
(´・(ェ)・`)


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