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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
956
:
避難民のマジレスさん
:2020/06/10(水) 22:35:12 ID:LGcECsDQ0
変化の緊要
新しい人間 1
質問者 私は改革者で、社会事業をする者です。世界にあるとてつもない不正を見て、私の一生は改革に捧げてきました。私はかつて共産主義者であったのですが、私はもはや共産主義とはやってゆけません。それは暴政に終わってしまいました。それでもなお私はやはり、人が尊厳と美しさと自由のなか生きて、自然が人に与えたと思われ、人自身はいつも仲間の人から盗んできたと思われる潜在能力を実現することができるように、社会の改革に献身しているのです。アメリカにはある種の自由がありながらも、そこでは標準規格化と宣伝広布が、とても強いのです - マスメディアすべてが、心に対してものすごい圧力を行使するのです。テレビ、(すなわち)人が発明したこの機械的なものの力は、それ自体の性格、それ自体の意志、それ自体の勢力を発達させてきたように、思われます。そして、たぶんだれも - おそらくどんな一つの集団さえも - 社会を感化するためにそれを意図的に用いていないけれども、その動向は私たちの子どものまさに魂を形作るのです。そして、民主主義国すべてにおいて、これは程度はさまざまでも同じです。中国では、人の尊厳や自由への希望は全くないように見えますし、インドでは、政府が弱く、腐敗し、非効果的なのです。世界の社会的不正すべては絶対に変化しなければならないように、私には思われます。私は情熱的にそれを何とかかしたいのですが、それでも、どれにどこから取り組みはじめるべきなのかを知らないのです。
K 改革はさらにいっそうの改革が要るし、これは終わりなき過程です。
そこで、それを違ったように見つめましょう。改革の思考全部をわきに置きましょう。私たちの血から拭い去りましょう。世界を改革したというこの考えを完全に忘れましょう。そのとき、世界中で何が起きているのかを、実際に見ましょう。政党はいつも、制限された計画を持っています - たとえ実現されても、間違いなく危害をもたらすし、そのときもう一度訂正されなくてはならない計画です。私たちはいつも、大変重要な行為として、政治的行為について話していますが、しかし、政治的行為は道ではないのです。それを私たちの心から出してしまいましょう。社会的、経済的改革すべては、この範疇に収まるのです。そのとき、信念、理想主義、観念論、教条主義、いわゆる神の救済法への順応に基づく、宗教的な行為の定式があるのです。これには、権威と受け入れ、服従と自由の全くの拒否とが、関与しているのです。諸宗教は地上の平和について話をするkれども、彼らは分離の要因であるから、無秩序へ貢献するのです。そしてまた教会は、危機の時にいつも何か政治的立場を取ってきました。それで、教会は本当は政治的団体ですし、私たちは政治的行為すべてが分割的であることを見てきました。教会は本当に戦争を拒絶したことがないのです。反対に、教会は戦争を行ってきたのです。それで、政治的定式をわきに置くように、宗教的救済法をわきに置くとき、何が残っているのでしょうか。何をなすべきなのでしょうか。当然に、市民的秩序は維持されなければなりません。水道の蛇口には水がなくてはなりません。市民的秩序を破壊するなら、初めからもう一度出発しなくてはなりません。それで、何をなすべきなのでしょうか。
質問者 それが、私が実際にあなたに訊ねていることなのです。
(´・(ェ)・`)つ
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