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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

952避難民のマジレスさん:2020/06/09(火) 23:12:48 ID:CMlQCb8I0
変化の緊要

   思考を終わらせること 2

K 私たちは両方とも、思考が止まっているとき、何か新しいもの・ことがありうる、と言いました。私たちは両方ともその点を明確に見ましたし、それを明確に理解することが思考が終わることなのです。

質問者 しかし、その理解もまた思考です。

K そうでしょうか。あなたは、それが思考であると想定しますが、しかし、現行にはそうなのでしょうか。

質問者 それは、意味をもつ精神的動きで、自分自身への伝達です。

K それが自分自身への伝達であるのなら、それは思考です。しかし、理解は、意味をもつ精神的な動きでしょうか。

質問者 はい、そうです。

K 言葉の意味とその意味の理解は、思考です。それは生のなかで必要です。そこでは思考は効果的に作用しなければなりません。それは技術的な事態です。しかし、あなたはそれを訊ねていないのです。あなたは、思考はあなたの知るとおり生のまさに動きであるのに、どうしてそれが終わりになりうるのかを、訊ねているのです。それは、あなたが死ぬときにだけ、終わりうるのでしょうか。それが本当はあなたの疑問であるでしょう。

質問者 はい。

K それが正しい疑問です。死になさい!過去に、伝統に対して死になさい。

質問者 しかし、どのように。

K 頭脳は思考の起源です。頭脳は質料ですし、思考は質料です。頭脳は - あらゆる挑戦と要求に対するその反応、即答のすべてとともに - その頭脳は静かに止まりうるのでしょうか。それは、思考を終わらせるという問題ではなく、頭脳が完全に静かでありうるのかという疑問です。それは必要なときに十全な能力で行為し、そうでなければ静かであることができるでしょうか。この静けさは物理的な死ではないのです。
頭脳が完全に静かであるとき、何が起きるかを見てください。
  何が起きるかを見てください。

質問者 あの空間にはクロウタドリがいました。緑の樹、青い空、お隣でハンマーを打つ人、樹々のなかの風の音、私の心臓の鼓動、体の全的な静けさ。それですべてです。

K クロウタドリの歌っているという認識があったなら、そのとき頭脳は活動的であったし、解釈していたのです。それは静かではありませんでした。これは本当に、ものすごい鋭敏さと修練(を要求するのです。)、成果や楽しめる新しい経験を達成したいというあなたの無意識的な願望によって課されたり、もたらされたりするのではなく、それ自体の修学をもたらす注視を、要求するのです。ゆえに、昼の間に、思考は効果的に健全に作動し、そしてまたそれ自体を注視するのでなければなりません。

質問者 それは容易ですが、それを越えることについてどうでしょう。

K 誰がこの疑問を訊ねているのでしょうか。それは、何か新しいもの・ことを経験したいという願望でしょうか、それとも探究でしょうか。それが探究であるのなら、そのときあなたは思考の営み全体を探究、究明し、完全にそれに親しみ、その仕掛けと微妙さのすべてを知るのでなければなりません。あなたはこれをしたのなら、思考を乗り越えるという疑問は空っぽなものであることを、知るでしょう。思考を乗り越えるとは、思考は何なのかを知ることなのです。
(´・(ェ)・`)つ


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