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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

938避難民のマジレスさん:2020/06/06(土) 00:02:51 ID:2WdNfqJs0
くまめも2

質問者 あなたは、観察者は本当は自我であるという。あなたは、自我が存在するかぎり、彼は抵抗し、分割し、分離する、というのは、この分離、この分割のなか彼は生きていると感じるから、と言っている。
それは彼に、抵抗し戦う活力を与えるし、彼はその戦いが慣習となってしまった。
それが彼の生きる道。あなたは、この自我、この「私 'I' 」が、好き嫌いの感覚のなく、見解や判断のなく、ただ行為のなかこの「私 'I' 」の観察のみがある観察をとおして解消しなければならない、と言うのか。
そういうことは本当に起きるのか。
私は私自身をそんなに完全に、真実に、歪曲なく見られるか。 
私がそんなに明らかに私自身を見つめるとき、「私 'I' 」は全く動きを持たないと言う。これが冥想の一部であると言うのか。

K もちろんです。これこそが冥想です。
(´・(ェ)・`)


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