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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

933避難民のマジレスさん:2020/06/04(木) 23:50:57 ID:1R/9XXYg0
変化の緊要
   
   冥想とエネルギー 1

質問者 今朝私は、冥想のもっと深い意味、もっと深い感覚に入りたいように思うのです。私は、少しの禅を含めて、その多くの形態を実践してきました。気づきを教える学派はさまざまにあるのですが、それらはすべてむしろ表面的なように思われます。それで、私たちはそのすべてをわきに置いておき、これに入れるでしょうか。

K 私たちはまた権威の意味全体をもわきに置かなければなりません。なぜなら、冥想のなかで、どんな形態の権威も、自分自らのも他の人の権威も、障害になり、自由を防止するからです。新しさ、新鮮さを防止するのです。それで、権威、順応、模倣は完全にわきに置かなければなりません。そうでなければあなたは、単に言われてきたことを模倣し、倣うだけですし、これは心をとても鈍く愚かにするのです。そこには自由がありません。あなたの過去の経験は導き、指導し、新しい道を確立するかもしれません。それで、それさえも去らなければなりません。そのときにだけ、冥想と呼ばれるこのとても深くとてつもなく重要なことに、入れるのです。冥想はエネルギーの本質です。

質問者 長年の間、私は自分が他の誰かの権威やある様式の奴隷にならないようにしてきました。もちろん私自身を欺瞞する危険はあるのですが、私たちが進むにつれて、私はたぶん見出すでしょう。しかし、あなたが冥想はエネルギーの本質であると言われるとき、あなたの言われる「冥想」と「エネルギー」という言葉は、どういう意味なのでしょうか。

K 思考のあらゆる動き、あらゆる行為がエネルギーを要求します。あなたが何をしようと、考えようと、エネルギーが要るのです。このエネルギーは、葛藤、抗争をとおし、さまざまな形態の不必要な思考、情動的追求、感傷的活動をとおして、消散するかもしれません。二元性に、「私 'me' 」と「非私 'not-me' 」に、観察する者と観察されるもの・こと、思考する者と思考されるもの・こととの間の分割に生ずる葛藤、抗争のなか、エネルギーはむだになるのです。このむだがもはや起きていないとき、気づきと呼べるエネルギーの性質があるのです - そのなかに、評価づけ、判断、非難、比較がなく、単に注意深い観察、思考 - すなわち過去 - の干渉なく内的、外的にものごとをまさに有るとおりに見ることのみがあるところの気づき、です。

質問者 私はこれをとても理解するのが困難だと思います。もしも全く思考がなかったなら、樹や私の妻や隣人を認識することは、可能でしょうか。あなたは樹やお隣の女性を見るとき、認識は必要であるでしょう。

K あなたが木を観察するとき、認識は必要でしょうか。あなたがあの樹を見るとき、あなたはあれは樹であると言うのでしょうか、それともあなたはただ見るだけでしょうか。あなたがそれをニレ、カシ、マンゴーの来と認識しはじめるなら、そのとき過去が直接的観察に干渉するのです。同じように、あなたは、あなたの妻を見るとき、やっかいや楽しみの記憶をもって見るのなら、あなたは本当は彼女を見ていなくて、あなたが彼女について心に持っているイメージを見ているのです。それが直接的知覚を防止します。直接的知覚には、認識が要りません。あなたの妻、あなたの子ども、あなたの家、あなたの隣人の外的認識はもちろん必要です、しかし、なぜ眼、心、頭に過去の介入があったりするのでしょうか。それはあなたが明確に見るのを防止しないでしょうか。あなたが何かについて非難したり、見解を持つとき、その見解や先入観は、観察を歪曲するのです。
(´・(ェ)・`)つ


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