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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
930
:
避難民のマジレスさん
:2020/06/03(水) 23:36:39 ID:0u2NzBkU0
変化の緊要
個人と共同体 2
質問者 あなたは、私たちは個人と集団の間のこれら終わりなき取引に時間を費やしたり、それらは異なっているとか、それらは同様であるとかを立証しようしたりしなくてもいい、と言われているのでしょうか。あなたは、ただ善、愛、智恵のみが主題であるし、これらは個人や集団を越えていると言われているのでしょうか。
K そうです。
質問者 では、本当の疑問は、愛、善、智恵が日々生きるなかでどのように行為できるのかであるように、思われます。
K これらが行為するのなら、そのとき個人と集団の疑問は学理的なのです。
質問者 それらはどのようにして行為するのでしょうか。
K それらはただ関係のなかにのみ行為できるのです。存在すべては関係のなかにあるのです。それで、初めのことは、自らのあらゆるものごととあらゆる人との関係に気づくこと、この関係のなか「私 'me' 」がどのように生まれ、行為するのかを見ることなのです。集団と個人のどちらでもあるこの「私 'me' 」、です。分離するのは、「私 'me' 」です。集団的、個人的に行為するのは「私 'me' 」で、天国と地獄を創り出すのは「私 'me' 」です。これに気づくことがそれを理解することです。そして、それを理解することが、それの終わることなのです。それの終わることが善、愛、智恵なのです。
(´・(ェ)・`)つ
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