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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

93避難民のマジレスさん:2019/07/23(火) 19:22:39 ID:og89HtMo0
ラマナ・マハルシとの対話73

1935年9月27日

エンジニアのエーカナータ・ラーオ氏が尋ねた。

「私は師から恩寵どころか何の励ましも得ていないという失望感を抱えています。
 どうすればよいのでしょう?」

マハルシ
 それはただの無知でしかありません。
 「失望しているのは誰なのか?」という探究が為されるべきです。
 そのような考えに悩まされるのは、眠りから立ち現れた自我という亡霊です。
 深い眠りの中には何の悩みもありませんでした。
 目覚めの間に悩まされるのは誰でしょうか?
 眠りの状態が正常な状態なのです。
 それを探し出しなさい。

質問者
 しかし私は励ましをいただきたいのに、それを感じられないのです。

マハルシ
 瞑想の中に何らかの平安を感じないでしょうか?
 それが進歩のしるしです。
 その平安は継続的な修練によってさらに深く長く続いていくでしょう。
 それもまた目標へと導くのです。
 『バガヴァッド・ギーター』第十四章の最終節は、グナを超えた者(グナーティータ)について述べています。
 それが最終段階です。

 初期の段階は「不純な存在」 (アシュッダ・サットヴァ)、「混合した存在」(ミシュラ・サットヴァ)、「純粋な存在」(シュッダ・サットヴァ)という順になっています。

 ラジャス(活動性)とタマス(不活発性)というグナ(質)が優勢なときが「不純な存在」です。
 サットヴァ(純粋性)がときおり前面に現れ出る状態が「混合した存在」です。
 「純粋な存在」はサットヴァがラジャスとタマスを征服した状態です。
 このような段階を経た後で、グナを超越した境地(グナーティータ)に達するのです。

*グナ
すべての存在の根底には、サットヴァ(純粋性)、ラジャス (活動性)、タマス(不活発性)という三つの質があるというサーンキャ哲学の理論。
個人の精神性においても同様である。


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